体が軽い、心が温かい、優しい光に包まれていていつまでもこのままで居たいと、思った。


《よォ、ご機嫌いかがかしらァ?ってかァ!》

「…空神の登場で最悪ですけどもー」

《ヒャハハハ!傑作だなァ、可愛い可愛い下僕ちゃんにそんな冷たいこと言うんじゃねぇよォ》

…自分で下僕ちゃんって…なんか空神って変」

《お褒めに預かり光栄でありますゥ!》


真っ白な空間が永遠と続く中、と空神だけが其処に存在していた。風も無く音もなく何処かに立っている感覚もなく暑さも寒さも何も無い空間に、と空神だけが存在していた。空神はというと黒い毛の生えた獣の姿、この姿を見たことないだったが、空神を使っている内に空気に敏感になってきていたはその普通とは違う空神が空気を震わせる震動と、その独特な話し方、聞きなれた声で直ぐに空神だと悟ったのだ。


「何で此処に空神が居るのよ、ていうか此処何処?」

《此処はお前の中ってとこだなァ、精神世界っていうべきかァ?俺はもうに屈服された身だ、だからお前の中に居るんだよォ》

「へぇー…。え、タンマ!何であたしがあたしの中に居るの!?」

《死にかけなんじゃねぇのォ?》

「…いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、そりゃないっしょ」

《動揺してんじゃねぇよォ》


「まままままままさか、あたしが動揺するわけないでしょ、だってあたしだし、ていうかあたし死んだ?え、死んだの?ちょっと待ってよ。あたしの青い春は?あたしまだ水鏡先輩に告白してないんだけど、そんなのアリなの、いや水鏡先輩明らかに柳ちゃんのこと好きそうだし望みないって言ってたら悲しくなってきた


重い影を背負ってその場に両手両膝をつて項垂れる。動揺していないと口では言っているが妙に早口でいつも以上に喋っているところや、顔色が悪いところ、何処をどう見ても平気そうには見えない。空神は呆れたのかわざとらしく溜息をつけばぽん、と鋭い爪の生えた前足での頭を軽く叩く。意外と柔らかかった肉球に驚きながらもは暗い顔で顔を上げれば空神はにんまりと口角を吊り上げ、鋭い牙を見せた。


《まだ死んじゃいねーよォ》

「嘘ついたの!?」

誰も死んだなんて言ってねぇよォ。…ったく困ったご主人様を選んじまったなァ》

「…すみません」


本当に反省しているらしい、小さくなって謝罪を述べたに空神は大声を上げて下品に笑った。らしくねェ、気持ち悪ィ!と。さすがにそれにはも頭に来たらしく「空神!!」と声を張り上げれば、空神は未だに笑みを浮かべていたが笑うのを止めての額に足を押し付ける。やっぱり柔らかい肉球には何だか怒鳴る気が失せて空神を見つめる。


《さっさと行け、折角の久々なご主人様なんだからなァ…待ってる奴もいるみてぇだしよォ》

「待ってる奴?風子ちゃん?」

《さぁなァ…、自分の目で確認しろ、また近い内になァ…―――》


が首を傾げて空神に尋ねるも空神は笑みを深めるだけで答えない。空神はの額に当てていた足を押せばの体はぐらりと後方に倒れるように傾いていく。の耳から音が、空神の声が遠ざかっていく。そして真っ白だった世界も灰色、そして黒へと変わり、は目を覚ました。


「目が覚めたか」

「…………へ」

「特に腕の傷が酷い、あまり動くな」

「水鏡先輩ぃいいいぃいい!?」

「…動くなと言っただろう」


が目を覚まし、1番最初に見たのが水鏡の姿だった。目が覚めて1番に水鏡の姿を見れるなんて夢のようなこと、何時もなら飛び上がって喜ぶことだが今回は驚き過ぎてまず思考が停止した。そんなに水鏡は気付いていないのかの腕に刺さった輸血の針、そして至るところに巻かれた包帯を気にして安静にするように言うのだが、はそれどころではなくワンテンポ遅れてではあるが勢い良く飛び起きて目を見開き水鏡を見る。が勢い良く起き上がった衝撃で腕に刺さっていた針が引き抜かれて床に落ちる。水鏡は呆れた表情でを見た。


「え、ちょ、う、あ(空神の言ってた待ってる人って水鏡先輩のことだったの!?いや、嬉しいんだけど寝起きに水鏡先輩は目の保養通り越して目の毒だよ!これは刺激キツ過ぎ!危ない、もうちょっとで死ぬとこだった…!)」

「何を言ってるのか分からんぞ」

「な、なんで水鏡先輩が此処に…!」

「俺より風子の方が良かったか?」

「そそそ、そんなことないです!水鏡先輩で良かったです!!」

「………有り難う」

「!!」


水鏡はあの時、戒との試合を終えた後に柳に見せた綺麗で優しい微笑をに向けたのだ。心臓が五月蝿いぐらいに鳴り出し、の頬もトマトのように赤くなっていく。嬉しくて嬉しくて、頬が緩んでしまいそうになるのをはベッドの掛け布団に顔を押し付けて必死に隠す。目が覚めて自分を見るなりマヌケな顔をし、飛び起きたと思えば掛け布団に顔を押し付けている。そんなの行動を全く理解出来ていない水鏡は頭を捻る。そして結論、傷が痛むのだと判断すればの肩に手を伸ばして「傷むか?」と何時もの表情と声色で尋ねた。水鏡の手がの肩に触れると、はびくっと大きく肩を反応させる。しかしは顔を上げない。


「どうした?痛むか?」

「…や、痛むと言えば痛むんですけど…大丈夫です…」

「大丈夫なわけないだろう、これだけの怪我をしてるんだ。死んだって可笑しくない怪我だったんだぞ」

「………水鏡先輩、1つ聞いて良いですか?」

「何だ?」


水鏡はの肩から手を放し、己の膝上に置くと布団を強く抱きしめるように握り締め顔を押し付けるがベッドの上で正座をし真っ直ぐ水鏡の方へと体ごと向く。この際水鏡はが正座をしたことには触れないで置くことにした。は顔に布団を押し付けたまま水鏡に言う。


「…あの、もしかして心配して…くれましたか?」

「当たり前だ」

「っ!!」


はっきりと断言した水鏡にはより一層強く布団を握ると、そのまま上半身を前へと倒して、額を自身の膝に押し付ける。今度はベッドの上で丸くなったに水鏡は動揺した。全くの行動が理解出来ないからである。水鏡は再び、に手を伸ばそうとしたが躊躇い浮かせた手を再び膝の上に置いて口を開く。


「…怪我が痛むか?医師を」

「違うんです」


医師を呼びに行こうと立ち上がろうとした水鏡。しかしその前にが水鏡の言葉を遮って小さな声でそう言ったのだ。水鏡はドアの方へと向けた視線を再びの方へと戻し、椅子にも座りなおす。は丸くなった姿勢を変えることなく、小さな声で言った。


「…嬉しかった、んです。水鏡先輩に…心配してもらえて……。嬉しかったんで、す…」

「…よく此処まで戦ってくれた」


今度は迷う事も躊躇うことなく水鏡はへと手を伸ばして優しく頭を撫でる。は皺くちゃになった布団を更に皺を寄せさせて抱きしめる。そんなを見て水鏡は穏やかな微笑を浮かべると続けて言葉を繋ぐ。


には謝らないといけないな。裏武闘殺陣が始まる前、エントリーを済ませた後だったか。動けなかったを足手纏いだと決め付けて去れと言った僕を許して欲しい。はもう火影になくてはならない存在だ」

「水鏡先輩が謝ることじゃないです!!」


が勢い良く顔を上げた。水鏡が目を見開く。そしては自分のした行為に気付くと恥ずかしそうに視線を斜め下へと下げた。の顔は真っ赤でトマト並み、又はそれ以上に真っ赤だったのだ。そんな顔を見られまいと必死に布団に押し付けて隠していたというのに勢いに任せて顔を上げた自分が恨めしくて仕方が無いである。恥ずかしくて逃げ出したくなる衝動に駆けられるがはぐっと堪え、伝えたい言葉を口にする為に逸らした視線を戻し真っ直ぐ水鏡を見て口を開く。


「あの時はあたしが悪かったんです、水鏡先輩が謝ることじゃないです。あたしが弱いから…って今も弱いんですけど…」

「謙遜することはない、は十分強い」

「謙遜なんて!(また水鏡先輩に褒められた…!)」


水鏡との視線が交じり合う。やけに部屋に設置されている時計の秒針が耳に付いた。の心臓の音がどんどん大きくなり速くなっていく。交わる視線はお互い逸らすつもりはないらしく、交わったまま。水鏡との間に会話はない。居心地が悪いわけではないが、その沈黙がを焦らせるのだ。そしてその焦りに負けてが口を開いた時である。


「あの!水鏡先輩、あたし―――」

「JOKERギブアップ!!オラ勝者ァああああっ!!小金井!!!」

「(あたし今なに口走ろうとしたぁあああ!?あ、危ない…!)って薫くん勝った!?」

「らしいな…」

「(落ち着けあたし!流されるな、あたし!!)じゃあ次は花菱くんかぁ…あ、花菱くん帰ってきました?」

「いや、まだだ」


突如耳が痛く成る程の大音量で聞こえてきた審判のコールと小金井、小金井と言う観客の声援。どうやらドームから此処まで届く程の大声援のようだ。は口走りかけた言葉と、突如聞こえたそのコールと声援に胸をばくばくとさせながら何気なく烈火のことを水鏡に尋ねる。水鏡の表情は変わらないが、烈火が帰っていないとなると紅麗との戦いが不戦勝となってしまう可能性が出てくる。勿論、烈火が戻ってこないと思っているわけではない。しかし心配になるものだ。は暫く考えるように少しだけ俯き黙り込むと、次に顔を上げれば掛け布団を払いのけてベッドの隣に置かれていた韋駄天を手に取り、両足に装備した。


?」

「行きましょう、ドームに」


驚いたように目を丸くし、椅子に座ったままを見る水鏡。はそんな水鏡に歯を見せて笑えば韋駄天の履き心地を確認するように足をぶらぶらとさせるとベッドから降りて周囲を見渡す。少し離れた棚の上、そこには空神が置かれていた。棚に近付いていき空神を手に取れば右手に装着しようと視線を右手に向ける。所々包帯が巻かれていて、包帯が巻かれていない所も傷だらけ。完治しきっていない傷からは至るところから血が滲み出ていて包帯も薄っすらと血が滲んでいる。傷を見れば先ほどまであまり気にならなかった痛みも顔が引き攣ってしまいそうになるくらいに痛く感じてくる(さっきまでは痛いとかより心臓飛び出そうだったしね!)しかしそんな事も言ってられないは迷う事無く空神を右手に装着すると未だパイプ椅子に座って目を見開き固まっている水鏡に振り返り、水鏡の腕を掴むと引っ張って医務室を後にするのだ。


「傷は平気なのか?」

「平気と言えば嘘になりますけど、それより試合の方が気になってじっとしてらんないですよ」


は自分の手から感じる水鏡の温もりに笑みを零した。ついこの間まではこうやって触れることも離すことも出来なかった存在だったのだ。遠くで見ているだけで良いと思っていた、思いがけない発展である。廊下を歩き進め、見えてきたドームへの扉。水鏡の腕を掴む手とは逆の手でその扉を開ければ、眩いライト、人で埋め尽くされた観客席、柱一本で支えられたリングの上に小金井が一人立っている。は名残惜しかったがこれ以上は心臓が持ちそうにないので水鏡の腕から手を放すと、水鏡が一歩前へと踏み出し、その一歩後にが続いて歩き出す。


「行くぞ」


そう振り返らず真っ直ぐ前だけを見据えて言った水鏡の背中は大きくて逞しい。は笑みを零し「はい!」と元気良く返事を返すのだ。医務室で聞いていた声援も、実際この場で聞けば体が震動するぐらいに迫力のあるものである。


「(もうちょっと…もう少しだけ、このままで居たいなぁ…)」


何時か崩れてしまうかもしれないこの関係の未来の事を思いつつ、水鏡の背中を一人独占して眺めながらはそんなことを思うのだった。





















inserted by FC2 system