火影の優勝が辰子によって宣告された。いつの間にか観客の殆どが火影の応援をしており、烈火の勝利に涙を流す者もおれば飛び上がり喜ぶ者もおり五月蝿いぐらいに歓喜が上がっている。勿論その中にもは含まれており、水鏡の腕にしがみ付いて飛び跳ねていた。


「勝った!花菱君が勝ちましたよ水鏡先輩!」

「…ああ、勝ったな」


水鏡がふわりと穏やかな笑みを見せた。はそんな水鏡を見てはにかみながら歯を見せて笑った。そして勢いで水鏡の腕にしがみ付いたことに気付けば一気に赤面をして水鏡から勢いよく離れる。水鏡は腕にしがみ付かれたことや行き成り離れたに何も思ってはいないようで、観客達に囲まれ柳に抱きつかれている烈火を見ている。は紅潮し熱くなった頬を冷ますように両手で抑えた。烈火と紅麗の戦いで全面的に烈火の応援は出来なかったのがの本音である。烈火の背負う大きなものを知り、紅麗の背負う悲しみを知り、どちらも応援出来なくなった。それでもやはり烈火が勝利して喜べるのは、己が火影として今まで戦ってきたからであり、そして柳が森の手に渡るのを阻止出来たからであろう。何気なくは紅麗を見る。しかし其処に横たわっているはずの紅麗の姿はなかった。に駆け巡っていた喜びの情が一瞬にして消え失せる。


「何処に行くんだ?」

「えっと…トイレに!すぐ戻ります!」


気付けばは駆け出していた。烈火の居る方向とは真逆の方向へと駆け出したに水鏡は気付き声を掛ければ、は一瞬視線を泳がせてはっきりとそう言った。そんなの様子に水鏡は不審を抱くが「そうか」と結局は頷く。は水鏡の反応を見たあと、振り返ることなく森の方向へと駆け出した。韋駄天を使わないのは精神力の限界だった為、しかし元々足の速いは森の中をぐんぐんと駆け抜けていく。は紅麗の姿を見つけた、森を抜け海に向って飛び出すようにある崖の上で紅麗は一人立っていた。は紅麗に声を掛けようと木々の影から出ようとしたが、何と声を掛ければいいのかわからず躊躇う。その瞬間、紅麗に向って何かが放たれ、紅麗の肩や腕、腹部、至る所から血が飛び出した。行き成りの攻撃には目を見開き、動揺を隠し切れない。咄嗟に木の陰に身を潜めて自身の居る方向とは逆の方向、何かが放たれた方向を勢いよく振り返った。醜く笑う森光蘭と木蓮、紅麗と何処か似た雰囲気を持つ美女と其の他複数の人間が立っている。紅麗は吐血しながら受身を取る事無く地に倒れた。


「キヒ…ヒ…ヒヒヒヒヒ!!どうしたんだい、紅麗ィィ?おまえ程の男が私達の存在に気付かなかったのか?」

「も…り…森…光蘭!!」


刹那、木蓮の腕が木に変化し紅麗の体を強く鞭打つ。反射的に漏れそうになった声をは両手で口元を押さえて押さえ込んだ。の頭の中は大洪水を起こしているかの如くパニックを起こしていた。現状が飲み込めないでいるの体は固く硬直してしまっている。


「(ど、うなってんの…森光蘭って紅麗の養父でしょ?なんで…何でこんな事になってんの…!?)」

「ザマぁねぇなァ、紅麗くん。さんざんいばりちらしてたチミが、今やイモ蟲だぜ」

「まあ逸るな木蓮…こいつには話しておく事がまだあるのだ。紹介しよう、紅麗―――”煉華”おまえの分身だ。イヤ…正確にはお前の遺伝子を含む細胞と…”紅”の細胞を混ぜて造ったクローンだ」

「きっ…貴様ぁあ!!!」


卑しく笑う森光蘭、紅麗は声を上げ森光蘭に襲いかかろうとするが煉華がその前に紅麗に向って炎の矢を放つ。炎の矢は紅麗の腕や腹部に突き刺さり紅麗の体からまた赤い血を噴出させる。は煉華が放った炎の矢に釘付けだった。


「…炎の矢!?炎を…使えるだと!?」

「オニ…イチャン…」

「よしよし…イイコだねェ、煉華は。怖いお兄さんから…お父さんを守ったんだねェ…こいつの知能はまだ生まれたばかりの赤子同然だ。何も知らん。可愛い奴よ、私の言う事をなんでも聞く…貴様のように腹黒く、裏で邪な考えも起こさんのだ!!私だけの人形なのだ!ギャハハハハハ!!!」


煉華は人差し指を唇に寄せてにこ、と笑う。森光蘭はにやにやと笑みを浮かべながら煉華の肩に手を置くと小さい子供に言うように褒めるのだ。森光蘭は何とか立ち上がろうとする紅麗に怒鳴った。未だはこの状況が理解出来ないでいる、すると森光蘭は話し出す。


「…私はおまえを飼い犬にしてから、今日までぐっすりと眠れた日はないよ。正直…おまえが怖かったんだからなァ。瞼を閉じてもお前の顔が消えぬ、眠っている間に殺されるかもしれん…不安だ。夢にまで見る…何度も起きる…わかるか?私の苦悩…我が心を安息へと導く望みは一つ!幻獣朗に造らせていた…貴様と同じ力を持ち、貴様より扱い易い人形だった!!そんな時…お前が”裏武闘殺陣”開催を希望した。お前がこの武祭を望む程の相手、花菱烈火!火影の力を見て私は確信したのだ!!この者達は紅麗を倒せる。目覚ますには多少早いと思われる煉華も…死にかけの男ならば楽に殺せる。貴様が勝ち、治癒の少女をも手に入れる形が一番良かったがな!!どのみち火影相手なら五体満足ではいられぬと私はふんだ!!裏武闘殺陣の本当の目的は―――紅麗暗殺にあったのだよ


森光蘭の言葉では全てを悟った。同時にの体が小刻みに震えだす。止まりそうになり震えを何とか抑えようとは両腕で体を抱きしめるが震えはやはり止まらない。途轍もない悪寒にさらされ、冷や汗が滲み出る。吐き気も感じ始めた。


「(こんな…こんな酷い親が居たなんて…!実の子じゃなくたって…暗殺なんて…!!)」

「クク…残念だな…くやしいが火影は確かに強い!あの者達に守られている佐古下柳は、これでもう貴様には奪えない!!」

「本当に馬鹿だね、この犬は…。お前を切り捨てる理由は、まだあるのさ。見つかりそうなのだよ!!最強の火影魔導具!!天堂地獄!!!…古文書にはこうある、”彼の地に封印せし頂点の魔導具、天堂地獄を起こしてはならぬ。限り無き魔力は全てを凌駕し、全てを滅する”」

「つまりそいつを見つければ、森様が火影を潰すなどいつでも出来るのだ」


上半身だけ、何とか起き上がらせた紅麗だが森光蘭に蹴り飛ばされ再び地に倒れこむ。そして森光蘭は火影最強の魔導具である天堂地獄、古文書に書かれていた内容を紅麗に告げた。付け加えるように森光蘭の後ろに控えているフードを深く被りマント姿の壷を背負った人物が紅麗に言う。紅麗は目を大きく見開いて森光蘭を見ていた。


「それまで、最後の望み、治癒の少女は遊ばせてやる。先ずは貴様だ」


森光蘭は卑しい笑みを浮かべてポケットから掌サイズのスイッチを取り出し、そのボタンの部分に親指を乗せる。そのスイッチを見るなり紅麗の表情は一変し、紅麗は涙を流しながら森光蘭に叫んだ。しかし森光蘭は笑みを深めるだけで紅麗の叫びに聞く耳を持たない。そのスイッチが意味する理由を知らないは、紅麗の只ならぬ様子に戸惑うだけだった。


「貴様の近衛部隊”麗”は今日、解散だ。地位も…権力も…このボタンで肉の塊と化す仮初めの”母”も…貴様の全てを…私が奪う!!!」


は森光蘭の発言にフリーズした。全ての思考が停止し、止まらなかった震えもぴたりと止まる。一切躊躇う事もなくボタンを強く押した森光蘭。紅麗は瞳から血の涙を流し、森光蘭に向って拳を握り襲い掛かる。の体は硬直したまま、ぴくりとも動く事が出来なかった。


「バイ…バイ…オニイ…チャン…」


煉華が紅麗に向って炎の矢を放つ。しかしそれは紅麗に当たることは無かった。飛び出した音遠が紅麗に飛びつき、炎の矢から守ってそのまま海に落ちて行ったのだ。森光蘭とその後ろに控えている男達はの存在には気付いていないのか、はたまた気付いていながら知らぬ振りを決め込んでいるのか元来た道を引き返していく。はそこから動けずに居た。再び震え出した体、膝から地面に落ちるとそのまま上半身を倒して体を縮こませて強く体を抱いた。に今までに味わった事の無いような、恐怖が押し押せていたのだ。何の躊躇いも無く笑みを浮かべながら妻をボタン一つで肉の塊に変えた男に、養子と言えど息子に向って簡単に暗殺計画を話した男に、簡単に息子の全てを奪っていくあの男に、心が怯え、恐怖し、じんわりと瞳に涙が浮かんだ。


「あた…し…紅麗さんを……み…みご、見殺し…した…!」


一部始終見ておきながら、助けることもせず隠れて様子を窺っていた自分に罪悪感が圧し掛かる。全身穴だらけにされ、塩まみれの水に浸かればショック死しても可笑しくはない。そして崖から水面まではかなりの高さがあった、水面に叩きつけられ無事でいられる可能性は低い。どちらにせよ、紅麗の生存確率は限り無く低いのだ。はこの日初めて、戦うことの恐ろしさを知った。勝利した裏には沢山の人々が傷付き、失われ、涙する。そしてその中には全てを奪われ、殺される人も居るのだ。この日以上には”死”を怖れたことはないだろう。は暫くの間、そこに蹲ったまま動けずに居た。









が火影の元に戻ったのは閉会式の始まる直前と言っても過言ではない時間だった。ホテルに戻れば既に帰る準備を整え服も着替えた風子達が「もさっさと着替える!」と急かしてきた。は慌てて「ごめん!すぐ着替える!」と告げ部屋に入ると烈火はに今まで何処に行ってたのかと尋ねると、はほんの一瞬固まり、その後「トイレ」と一言、苦笑して告げた。そんなの様子に烈火は不思議に思うも「」そっか」の一言で済ませる中、水鏡だけが何か探るような目でを見ていた。鞄の中から茶色の長袖で膝下まである丈のワンピースを取り出し、トイレに駆け込んで服を着替える。右腕につけた空神はすっぽりとワンピースの袖に隠れてしまい、は韋駄天を履いたまま、血が滲み今後着ることが無さそうな脱いだ服を鞄に乱暴に突っ込むと鞄を手に部屋を出た。廊下には既に烈火達が其々の荷物を手に待っており、烈火はを見て閉会式の行われる会場へと歩いていく。閉会式は意外とあっさりと行われ、終了した。表彰台に出た土門の浮き具合に水鏡は恥ずかしさを覚え、戻って来た土門が渡された気持ちの悪いトロフィーを躓いて落として壊し、始終騒がしく笑いの溢れた会場。すっかり仲良くなった対戦相手だった者達と別れの挨拶を交わして、太陽が沈み薄暗くなった空の下、烈火は土門、柳、風子、水鏡、小金井、陽炎の順に見渡して言った。


「よーーっし、全員揃ったなーー!?んぢゃ…帰るぜ、火影!!!」


烈火の言葉に全員が頷いて、帰路に立つ。やっと終わった戦い、再び戻る平凡な学生生活。は脳裏に過ぎる海に落ちていった紅麗の姿を掻き消すように頭を左右に振って、時折話しかけてくる風子に笑みを向けて自宅に向って帰っていくのだ。





















inserted by FC2 system