日常生活に戻ってから数日が立ち、当たり前だったことが当たり前になって来て、は今までどおりの生活を送っていた。まるで裏武闘殺陣の時のことは嘘の様に、毎朝同じ時間に起きて学校に行き、くだらないことを友達と話して、眠くなる授業だって受けて、たまに寄り道しながら家に帰り、家族と雑談しながら夕食を取って、就寝する。裏武闘殺陣を終えて帰ってきてからは韋駄天や空神に触れることがなくなった。陽炎に貰った時同様、韋駄天を箱に入れ、空神は布に包んで押入れの奥底に仕舞ってある。まるで今までの戦いを全て封印するかのように。こうすることではあの紅麗の姿をも忘れるように努めていたのだ。柳の治癒により治療によって体中にあった傷も癒え、特に酷かった右腕の傷も癒えたのだがよく見れば傷跡が薄っすらと残っている。傷を見る度にあの激闘のことを思い出す。しかし次第に脳裏に紅麗の姿が浮かばなくなった、只の女子高生に戻ったようだった。


ー!今日一緒にカラオケ行こうよ!」

「うん、いいよ!何時間入る?」

「フリータイム!」

「言うと思った!あ、その後プリクラ撮りに行こうよ!」

「いいね!とプリクラだなんて何ヶ月ぶり?」


今日、風子は学校に来なかった。どうやらサボりらしい。家が近い事もあって風子とは登校は別でも下校は一緒だった、これは暗黙のルール。本日一緒に帰る相手が居ないはそんな友人の誘いを断ることもなく笑顔と一緒に縦に頷けば、たわい無い話をしながら下校して、近くのカラオケボックスへと入っていく。テンポの良い曲からしんみりとしたバラード、時にはアニメの曲を歌って盛り上がり、結局フリータイムが終わってからも延長し続けカラオケボックスに居座り続けること数時間、その後近くのゲームセンターへと立ち寄りプリクラを取った後、太鼓●達人に夢中になり永遠にコインを入れ続けて太鼓を叩き続けた達。二人がゲームセンターを出た時には夜空に月が綺麗に輝く23時という時間だった。途中で友人と別れ、一人帰路を歩く。あまりにも静かな夜道に携帯で音楽でも流そうかとポケットに手を伸ばした時、の前に一人の男が立っていた。


「…くひひひひひ…ひひ、ひひひ…」

「…………」


気味の悪い笑い声を上げる男は肉付きが悪く少し衝撃を与えただけでも折れてしまいそうな、そんな薄っぺらい貧弱そうな体をしていた。その割に背が高く腕や足も長い。男は真っ直ぐを見て笑っている。まるで品定めでもするかのような居心地の悪い目でを見て笑っている。はそんな男に顔を歪ませるとポケットに伸ばしていた手を下ろして、男に向って口を開く。


「…あたしに何か用ですか?」

「くひひ…神速の…会いたかったぜ…!あの紅麗を見殺しにした女ァ!!」

「!!」


男の言葉には目をこれでもかという程に見開く。今まで忘れていた、記憶の片隅に追いやっていた記憶が蘇り脳裏に崖から落ちていった紅麗の姿が過ぎる。男はまたを見て笑った。それはそれは楽しそうに、新しい玩具を見つけた子供のように。


「お前が紅麗を殺したんだ…くひひひ」

「ち、違…、!」

「違うことねぇだろ…あの時、お前が飛び出してたら紅麗は助かってたかもしれねぇもんよォ!」

「あ、あたし…そんなつもりじゃ…」


体が小刻みに震えだし、歯がかたかたと音を鳴らす。両手で頭を押さえて脳裏に過ぎる紅麗の姿を掻き消そうとするが消えない。じんわりと瞳に涙が浮かんでくれば、男はげらげらと下品な笑い声を上げた。


「俺の名は天木…お前に最高のプレゼントをやるよ…」

「!!」


天木の声が遠のいていき、気付けばは真っ白な暗闇の中たった一人で立っていた。右を見ても左を見ても前を見ても後ろを見ても上を見ても下を見ても白の一色。行き成り変わった景色に同様が隠せない。すると背後から足音が聞こえて来、は振り返った。


「う、そ……」


は己の目が捕らえたソレに目を見開き、否定の言葉を口にした。体の至る所に風穴を開け、血を止めどなく流し足元に血溜まりを作った紅麗が虚ろな目でを見ていたのだ。一切の汚れのない真っ白な色が、まるで紅麗の流す血をより強調しているようにには見えた。紅麗はを焦点の定まらない目で見ながら、ゆったりと歩いてに近付いてくる。その度には後退りをする。


「きさ…貴様…の所為……だ…」

「……ち、違…っ」

「貴様が…あの時…助けに来ていれば母上は…死ななかった…」

「!!」

「私も…このような風穴だらけになることも、海に落ちて死すことも…なかった…」

「ご、ごめ……ごめん、な、さ……っ!」

「全て貴様の所為だ!!!」


血を垂れ流し俯きながらも、一歩一歩確実に近付いてくる紅麗には瞳に涙を浮かべながら後退りをして逃げる。否定の言葉を口に、謝罪の言葉を口にし、は紅麗が近付いてくる度に後退りをする。紅麗の仮初の母の死、紅麗の体の至る所にある風穴、流れ落ちて出来た血溜まり、全てがの心に深く突き刺さる。血塗れの紅麗はの顔にその美しく、同時に憎悪の色が染み付いた顔を近づけて悲痛に怒鳴った。その言葉が深く強くの心を抉り、全ての思考をストップさせる。紅麗が吐血し、その血がの頬や制服に飛んだ。紅麗は血溜まりの中に音を立て、その場に倒れればそのまま微動だにしなくなった。血溜まりがどんどん大きくなり広がっていき、の足元までその血が伸びてくる。は動けずに居た、目の前で倒れる紅麗から目を離せなくなっていた。刹那、の足首が紅麗の大きな手によって強く掴まれる。靴下越しにねっとりとした、血が滲み込む感触もあった。紅麗はを憎悪に染まった瞳で睨みながら怒鳴る。


「全て貴様の所為だ!!貴様が助けなかった所為で私は全てを失ったのだ!!呪ってやる!!呪ってやるぞ!!この世に生を受け生きた事を後悔し苦痛と絶望に飲まれ死に急ぎたくなる程の思いをさせてやる!死により辛い思いをさせた後、貴様も殺してやろう!!」


瞳に溜まっていた涙が限界を達し、頬を伝って流れた。紅麗は瞳孔を開くと力尽きたかのようにの足首を掴んでいた手も離して今度こそ微動だにしなくなる。それがの心をぶち壊す、最後の一撃だった。


「いやああああぁああああぁあああぁぁぁあああああ!!!」


腹の底から喉が潰れそうな位、今まで出したことも無いような大声では叫んだ。全てを遮断するように両耳を両手で押さえて耳を塞ぎ、固く瞼を閉じるが大粒の涙が止めどなく溢れている。刹那、のいた白の世界が崩壊するように崩れ去った。同時に紅麗の姿も、の足元まで侵食していた血の海も消えていき、元の世界である夜空に浮かぶ月や、周囲に並んだ住宅、光を放つ街灯が現れた。は崩れるように膝から地面に付き、体を小刻みに震わせた。恐怖に耐えるように強く握る拳は指先が真っ白になっており、項垂れ、コンクリートの地面に涙の水で幾つもの染みを作る。そんなの前には大小二つの影があった。天木は笑う。


「くひひひ…来るのが遅かったな騎士様よォ!もうぶっ壊れちまったぜ…?」

姉ちゃん!!」


鋼金暗器に閻水、其々の武器を手に前に立って天木と対峙する小金井と水鏡。卑しい笑みを浮かべて顎でを差す天木に小金井は慌てて振り返りに駆け寄るが、には一切の反応がなく、体の震えも地面を濡らす涙も止まる気配がない。水鏡は閻水の切っ先を天木に向けて言う。


に何をした」

「くひひ…大したことじゃねぇよ…ちょっとしたプレゼントだ…。、また会える日を楽しみにしてるぜ…?天堂地獄…俺はお前を待つぞ…」


暗闇に溶けるように姿を消した天木。気配も消え、水鏡は閻水を下ろすと振り返りと小金井を見た。小金井に揺さぶられている、一切反応を見せなかったが何か呟く。しかしその声は小さすぎて水鏡と小金井には聞き取れなかった。小金井はより強くの体を揺さぶり、何と言ったのか尋ねればは再び口を開く。始めこそ小声で聞き取れなかった言葉も次第に聞き取れるほどの大きな声に変化していった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

…姉ちゃん…?どうしちゃったんだよ!!しっかりしてよ姉ちゃん!!」


ひたすら謝罪の言葉を呪文のように繰り返すに小金井と水鏡の表情が一変する。虚ろな目、止めどなく流す涙と小刻みに震える身体。の全てが恐怖に怯えていたのだ。小金井がに必死に超えかけるがの様子は変わらず、ただ謝罪の言葉を繰り返すだけ。どうしていいのか分からなくなった小金井は水鏡に振り返ると、水鏡は閻水を解いてズボンのポケットに仕舞うと片膝をついての虚ろな双眼を真っ直ぐ見る。


「しっかりしろ、。此処にはお前の恐怖するものはない」


水鏡の言葉に反応を示すかのように、ぴたりとの口から流れていた謝罪の言葉が止まった。小刻みに体を震わせていたものもなくなり、虚ろだった目も徐々に焦点を合わし始め水鏡の双眼を見る。しかしの瞳から溢れ、頬を伝って流れる涙だけは止まらない。水鏡は言葉を繋ぐ。


「何があった、話してみろ」

「…みか、がみ…せんぱ、い………あた、し……」

「…………」

「こ…怖、い…怖い……もう、戦いたく、ない…です…、!」

「…わかった、もういい」


掠れ、震えた声で悲痛に歪んだ顔で水鏡に向ってはそう言った。隣で見ていた小金井もそんなの姿に顔を歪める。元々只の女子高生で、殴り合いの喧嘩すらしたことのなかった女の子が、行き成り巻き込まれて死と隣り合わせの戦いに参加させられたのだ。火影の一員として逞しく勇ましく戦っていたの姿を見ている内にすっかりと忘れていた真実が、の吐き出したその言葉でが元々どういう人種の人間だったのかよく思い起こさせられる。只の女子高生が背負うには、重すぎる戦いだった。水鏡は恐怖に怯え涙を流し震えるを抱き起こすと、視線を小金井へと移した。


「このまま帰らせるわけにはいかない、またいつ奴等が襲ってくるかわからん…今日のところは僕は面倒を見る。小金井はの自宅に連絡を入れておいてくれ」

「う、うん!何て言っておけばいい?」

「…友人の家に泊まりに行っている、等でいいだろう」

「じゃあ風子姉ちゃんの家に泊まってるって事にしとくよ、風子姉ちゃんも事情言って…」

「そうしてくれ」


鋼金暗器を手に小金井は頷くと風子宅へと向って駆けて行った。小金井のその後姿を見送り、水鏡も踵を返せば自分の住むマンションへと向って歩いていく。水鏡の自宅に着くまでの間、の様子に変化は無かった。体を震わせる事はなかったが、恐怖に肩を竦ませじっと動くことがなかった。エレベーターで上へ上がり、慣れた手つきで鍵穴に鍵を差し込めば開かれる扉。後ろ手に扉を閉め、靴を脱ぎリビングまで行くと絨毯の上にを降ろした。


「風呂は沸かしてある、着替えは僕のを貸す。夕食はまだか?」


水鏡がの前に屈み、視線を合わせて問えばは小さく縦に頷く。の返答を見、水鏡は立ち上がりその場を離れようとすればは咄嗟に手を伸ばして水鏡の服の裾を掴んだ。水鏡は振り返り、を見るとくしゃりとの頭を撫でる。何時もなら発狂でもしそうなだが、今回ばかりは静かだった。


「夕食を用意するだけだ」

「…大、丈夫です……お腹…空いてないです…」

「そうか」


が視線を落とし呟くようにそう告げれば水鏡はその一言を返した後、付け加えるように「風呂に行くか?」と尋ねた。が小さく頷くと水鏡は箪笥の中から白の半袖のTシャツと黒のハーフパンツ、そしてバスタオルを取り出すとに風呂場まで誘導する。洗濯機の上にバスタオルと着替えを置けば、水鏡はの頭を何度か撫でるとその場を後にした。一人取り残されたは暫くその場から動かなかったが、暫くするとゆっくりと行動し始め、服を脱ぐと風呂場に足を踏み入れた。が風呂から出てきたのは数十分後、交代で水鏡が風呂に入っている間、は水鏡に出された食事を前に座っていた。先程水鏡に言った通り、に空腹感が今はない。あんなものを見た後に食事を取れる気にすらなれないものである。水鏡は決して全て食べ切れとは言わず「少しでもいいから食べておけ」とだけ告げて風呂場へと行ってしまった。その水鏡の優しさが、の心に深く響いては箸を取ると一口の更に半分ぐらいの少量を、口の中に含んだ。結局、意地で全てを完食したところで水鏡が風呂から出てくる。艶めいた美しい髪が濡れて肌にへばり付き、何とも妖艶で何時もとはまた違う雰囲気をかもし出している。そんな水鏡には見惚れた。ドライヤーで髪を乾かした後、水鏡は部屋に一つだけ設置されているベッドを指し、に使えと言った。


「水鏡先輩は…」

「僕は其処のソファで寝る、気にするな」

「で、でも…」

「かまわん。僕が言い出したことだ」


結局この日、は水鏡のベッドで眠り、水鏡はソファで眠ることになる。初めこそ睡魔なんてものは一切なく眠れるか心配だっただったが、布団に染み込んだ水鏡の匂いに安心したのか、眠りに着くまではそう時間はかからなかった。





















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