人間、どんなに思いつめていても一晩ぐっすりと眠れば大体気持ちが楽になったりするものである。もしこれが否定されるのであればきっと一晩熟睡しただけで気が楽になれる人は所謂神経が図太い人、に分類されるのだろう。ならばはこの人種に分類される。一晩ぐっすりと、それも自分のベッドではなく何時も水鏡が使用する水鏡の匂いが染み付いたベッドで眠り、目覚めたは割りと何時もの元気を取り戻していた。現に水鏡の家に一晩泊まったことや、それもベッドまで使わせてもらったことや、現在寝巻として着用している水鏡の私服だとか、同じシャンプー等を使った事や、たった一晩で自分の身に降りかかった夢にも思わなかったような事に頭はショート寸前、同時に顔がにやけるのを抑えきることが出来ず、ふと脳裏に浮かんだ裏武闘殺陣の十二支の一人である里巳の顔を思い出してこの絶対的勝利に思わずほくそ笑んだは、最早重症ともいえるだろう(勝利のレベルが低い、なんていうのはシークレット)


「あれ、水鏡先輩がいない…」


太陽が真上に上がった昼、は目を覚ました。昼食を一緒にとれるのでは、なんて期待を胸に手櫛で髪を整えた後、部屋を出るがリビングにもトイレにも風呂場にも水鏡の姿はなかった。水鏡の代わりだと言わんばかりに、リビングにあるテーブルの上に達筆な字で書置きが残されており、その紙を手にとっては視線を落とし、文字に目を滑らせる。


「”鍵はポストの中に入れておいてくれ”かぁ…。昼食一緒に食べちゃうよ!もうドッキドキじゃね?作戦遂行ならず…勝手に帰れってこと、か…」


帰るならポストの中に鍵を入れておけ、とのことらしい。帰れと言われたわけではないにしろ、帰らないといけないことを考えると帰りたくなくて寂しくなってくるものだ。折角片想いの相手の部屋にいるのだ、もっと満喫したいのが本音。しかしそれでは迷惑が掛かる、深い溜息を吐きながらは着替えがなかったので昨日着ていた制服を着ることにした。制服は綺麗に畳まれて棚の上に置かれていた。ブラウスに袖を通し、スカートを履いて、靴下を履く。ヘアゴムで髪を何時ものように横で結うと借りた水鏡のTシャツとズボンは洗濯して返すことを決め、鞄の中に詰め込めば書置きの手紙の隣に置かれていた鍵を持って部屋を出た。鍵を閉めてポストの中へと入れる。これでもう入れなくなった水鏡の部屋に名残惜しさを感じながらはその場を離れた。通学鞄を片手に学校のない祝日を制服で歩くのは何だか不思議な感覚である。あと少しで自宅に着くというところで、の目の前を過ぎるキャップを被った三本の長い三つ編みをした男。は自分で自分の目が見開いているのを感じた。の視線に気付いたのか、その男はに振り返る。


さんやないですか!せやけど何でこんな所におるんや?火影のみんなと居るもんやとばっかり思ってましたわ」

「え、どういうこと?」

「?何も聞かされてへんのですか?」


けらけらと笑いながらの肩を叩いて言うジョーカー、その言葉には首を傾げた。すると今度はジョーカーが首を傾げる。とジョーカーの、二人の間にクエスチョンマークが飛び交う。


「ワシ、火影隠れ屋敷に今向っとったんやけどてっきりさんも其処におるもんやと思って」

「?何で火影隠れ屋敷に向ってるんですか?」

「何でって火影の皆さんが其処におるからですやん」

「……初耳ですけど」


当たり前のようにはっきりと言ったジョーカーの言葉に、の表情が歪んだ。それではまるで一人除け者にされたみたいである。が目覚めた時に既に水鏡の姿はなかった、それが妙にジョーカーの言葉に信憑性を持たせていたのだ。


「…火影はさんを巻き込まんようにこの戦いに遠ざけたみたいやな。無駄やのに、空神と韋駄天を所持してる時点でさんもターゲットに含まれてもうてるのになぁ」

「…意味わかんないんですけど、」

「ほなら自分が説明したります。”天堂地獄”について」


妙に納得したように顎に手を添えて「うむ、」なんて頷くジョーカー。は表情を歪めたままジョーカーに言った言葉はワントーン下がっている。そんなを見てジョーカーは口角を吊り上げながら天堂地獄の名を出した。刹那、の表情を一変させて目を見開いた。走馬灯のように昨日の出来事が駆け巡って蘇る。吐き気がし、咄嗟に口元を押さえたを見てジョーカーは驚いた様子を見せた。


「どないしたんや?天堂地獄について何か知ってるん?」

「…知らないですけど…、天木って奴が言ってて…」

「天木?ああ、 幻見界 げんみかい を使う骨みたいな奴かいな」

「幻見界…?」

「せや。魔導具、幻見界。相手に幻を見せることが出来る魔導具や」

「幻?じゃあ…あの紅麗さんは…」


憎悪に染まった瞳で血を止めどなく流し最後には生き絶えた、紅麗。確かにそう言われてみれば幻なのかもしれない、とは感じる。あの時は衝撃が強すぎて考えてもみなかったが、海に落ちた紅麗が行き成り目の前に現れるわけが無い。あんなに真っ白な空間だって、この世界には存在しない。今でも思い出すだけで鼓動が速くなるが思い返してみればみる程、現実的にありえないことが沢山あった。意味深げに紅麗の名を呟いたにジョーカーは、ほんの一瞬表情を硬直させた後、に向ってにんまりとした笑みを浮かべた。


さん、さん」

「何ですか?」

「深夜の2時頃、此処の山に来たって下さい。此れに詳しい地図は書いてありますわ」

「…めちゃくちゃ山の中じゃないですか。こんなとこに夜中で何するんですか、深夜じゃ山菜なんて見つけらんないですよ」


ジョーカーから手渡された二つ折りにされた小さな紙。広げてみれば其処には少し離れた所にある山の地図だった。とはいっても山に印が入っており、真っ直ぐ歩けばつくで!なんて頼りない指示が書いてあるだけの小学生でも描けそうな地図である。熟睡していたと言えど、精神面はまだ全快だとは言い難い。出来れば今日は早めに就寝したかったはジョーカーの誘いに表情を歪ませる。誰が好き好んで深夜の真っ暗な中、山菜を摘もうというのだ。勿論ジョーカーは山菜摘みにを誘ったわけではない。ジョーカーはより一層笑みを深めた。


「山菜やない。そんなんやのうて…まぁ、ええもんが見れますわ」

「ええもん、ねぇ…」

「あ!!疑いの顔しとる!信じとらんな!?…ああ、言い忘れるとこやったわ。ここ来る時は空神と韋駄天を持って来るんやで」

…何で空神と韋駄天がいるんですか」


ええもんが見れる、この言葉でがつられることはなく、疑いの眼差しを向ければジョーカーは怒りを露にする。勿論真剣に怒っているわけではない。そんな怒りの表情は直ぐに消え、今まさにこの瞬間思い出し方のようにジョーカーはに空神と韋駄天を持って来るように告げた。すると今度はの表情が歪んだ。例え昨晩見た紅麗が幻だったとしても、戦わなければあのような事にはならなかった。戦うから、ああなってしまった。にとって戦うということは今は恐怖の対象でしかなかったのだ。


「一応念の為ですわ、使う使わんはさん次第。ほならまた後で」


ジョーカーはそう告げると、表情を歪めたにひらりと手を振ってその場を後にする。ジョーカーの後姿が見えなくなるまで其処から動かず見送っていたは、ジョーカーの背中が見えなくなると深い溜息を吐く。兎に角、自宅に帰ろう。そう思って踵を返せば、何故か目の前に立迫が立っていた。全然気付かなかったは驚き悲鳴を上げそうになったが、ぐっと堪え立迫を見上げる。


「た、立迫先生…何してんの?」

「いやー!丁度の家に行こうと思っててな」

「あたしの家?」

、ここ最近学校休んでただろ?只でさえ頭悪いんだから今日は学校で勉強だ。提出物も溜まってるからなぁ」

「はぁ!?」

「言い訳無用!何でかわからんが制服も通学鞄も持ってるわけだし、このまま学校に行くぞ!」

「ちょ、!人攫いーーー!!」


大声を上げて笑いながら、の腕を掴んでずるずると引き摺って少しだけ見えている学校の校舎へと向って歩き出す立迫。がどんなに抵抗をしても、立迫は学校の校舎に入るまでの腕を掴む手を解放することはなかった。





















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