「た、立迫先生め…!覚えてろ、職員室の椅子にブーブークッション仕掛けておいてやる!醜態を晒すがいい!!」


まるで悪者のような影のある表情を浮かべは声を上げた。現在時刻は深夜の2時、少し前。結局日が暮れるまで学校の教室、机と椅子に縛り付けられ勉強をさせられていたは完全に疲れきっていた。勉強から来る頭痛と睡魔と死闘を繰り広げ、ふらふらになりながら帰宅すればは夕食を取ると仮眠を取る為にベッドに横になった。約束の時間まで十分に余裕があったからだ。しかし其れがいけなかった。1時間だけの仮眠のつもりが軽く数時間も寝ていて目覚めた時には既に日付は変わっている。驚きは部屋を飛び出したのだがジョーカーの言葉を思い出し踏みとどまる。暫し思考を巡らせると結局部屋の中へと戻り、押入れの奥底に眠らせて置いた韋駄天と空神を取り出した。韋駄天の入っている箱の蓋を取れば部屋の電気でキラリと光る韋と彫られた宝玉、布を剥がせばその禍々しい姿が晒される空神。持つ手が震えた、やはりジョーカーの言葉を無視して置いて行こうかと思った。けれど結局はリュックサックに魔導具二つを詰め込み、背負うと制服のまま部屋を飛び出したのだ。着替える時間すら惜しい、それ程までに時間が迫っていたのだ。両親には風子の家に行くと告げて電車を乗り継ぎタクシーに乗って山へと向う。山へと着けば薄気味悪い不気味な夜の木々の間を縫うように進んでくのだが、恐怖心は一切なくあるのは全ての元凶である立迫への不満(目覚ましも掛けずに寝ていた自分が悪いなんて一切思っていない)ずんずんと大きな歩幅で大声で愚痴を零しながら、明日立迫に仕掛ける地味な嫌がらせを目論みながら地図を頼りに先へ先へと進んでいく。


「えらい遅かったですなぁ、まさかやと思いますけど寝坊でもしましたん?」

ちっがーう!!あれは立迫の陰謀!!」

「(寝坊しはってんな…)でもまぁ、丁度ええ時間に来はりましたな」

「は?」


突如背後から聞こえてきた声には勢い良く振り返る。其処には朝に会った時と全く同じ格好をしたジョーカーの姿があった。手を口元にやり馬鹿にしたように笑うジョーカーにはジョーカーを人差し指で指差し怒鳴る。それは寝坊したと、図星だと自分で言っているようなものだった。しかし怒鳴られたジョーカーといえば差して気にした様子はなく、被っているキャップを深く被り直して口角を吊り上げる。不機嫌MAXのはそんなジョーカーの態度に眉を潜めると直ぐ近く、木々の向こうから聞こえてきた大声に驚き顔を上げて振り返った。


「食い止めろ!!此処を突破されたらあとが無い!!!」

「こいつを封印の地に入れるな!!!」

「な、何!?」

「森光蘭の手の者ですわ」

「!!」


複数の図太い焦ったような男の声、人々が走っているような音も同時に聞こえる。今まで静かだった森の中、そんな声が突如聞こえてきては驚きと動揺が隠し切れない。ジョーカーに勢い良く振り返り説明しろと言わんばかりの目を向ければジョーカーは口角を吊り上げたままはっきりと答えた。裏武闘殺陣以来、聞く事のなかった名前に体がびくりと反応する。刹那、男達の声が聞こえてきた方向から生暖かい熱風が飛んで来、眩くゆらゆらと燃える何かが見えた。まさか、との瞳がこれ以上ない程に見開かれる。草木の間から逃げるように必死な形相をした男が飛び出してきた。が身構えるよりも前に男の背後には黒い一つの影が立ち手刀が決まる。男は意識を飛ばすとその場に崩れ落ちてぴくりとも動かなくなった。其処に居る一人の見覚えある男にの目が釘付けになる。


「ここから先の道案内はまかしといてください。…うれしいやないですか!やっぱりあんたは生きとった!!紅麗さん」

「紅麗、さん…?うそ……」

「どうや、さん。”ええもん”見れましたやろ?」


瞬きすら忘れて紅麗から一瞬たりとも目を離せずにいるにジョーカーはより一層笑みを深めて言う。は真っ直ぐ紅麗を凝視し硬直してしまっており、紅麗は視線をジョーカーに向けた。するとジョーカーは紅麗に笑みを向けるとぽんぽんっと軽くの頭を二度叩いて口を開く。


さん、天木に狙われとったみたいで幻見界で紅麗さんの幻覚見せられたらしいんです。それでえらい落ち込んではってなぁ。天木のことやさかい、どうせ紅麗さんがさんを恨んでるとかそういう仕様もない幻覚見せたんやと思うんですけどねぇ」

「…フン、くだらんな」

「ほれ、さん。この通り紅麗さんは元気や!」


ジョーカーが紅麗に事情を説明すればそのくだらなさに興味が失せたのか紅麗は視線をジョーカーから外し道の先を見る。そんな紅麗の態度には紅麗生存が夢ではなく現実で、今まさに目の前に居ることに心に温かいものが浸透するような感覚を覚えた。の異変に気付いたのかジョーカーは歯を見せて笑うとの頭に乗せた手を降ろし軽く背を押した。少しばかり前のめりになり、は紅麗の目の前に立つ。が紅麗を見上げれば紅麗もを見下ろしていて二人の視線が交じり合った。


「あの、…紅麗さん」

「何だ」

「…あの時、助けに入れなくてすみませんでした。その、怖くて動けなくて…」

「私は貴様の様な小娘に助けられなければならん程、弱くはない」

「そう、ですか」

「辛気臭いなぁ!紅麗さんは怒ってへん、せやからいつも見たいにへらへら笑っとけばええんや、さんは」


視線を泳がせながらもが口にした謝罪を紅麗は冷たく突き放す。しかしは傷付いたりしない、其れが紅麗の優しさだと分かっているからだ。口ではそう冷たく言ってはいるが怒りなど全くないのが感じられる。は自然と小さく笑って、ジョーカーが無駄に声を張上げての背中をばしばしと容赦なく叩く。「痛いなぁ、」なんて笑いながらがジョーカーを叩き返すのだが、突如の手がぴたりと止まる。ジョーカーは不思議そうに首を傾げれば、は顔から笑みを消してジョーカーに向って言葉を発する。


「じゃあ天木があたしに見せたのって幻覚?」

「せや。それが天木の魔導具の力やし」

「つまりアレは全部嘘?」

「どんな幻覚見せられたんかは知らんさかい、何とも言えんけど全部嘘やろな」

「…あたし騙された?」

「そういうことや」

「………。」

「(…あれ、もしかしてさん怒っとる?)」


固く口を噤んだ。その表情は無、だった。ジョーカーは一変したの雰囲気に口元を引き攣らせながら表情だけでもどうにかして笑おうと試みる。そしてこの空気を取り除くべくジョーカーの行き着いた考えは話題変更という単純なものだった。実行あるのみ、早速行動に移すべく明るい声色でジョーカーは口を開くのだ。


「せやけど火影の皆さんは酷い奴らですなー!戦いを拒否したとはいえさんを放っておいて何も教えんと自分等は戦いに行くやなんて!こんなん只の置いてきぼりっちゅーやつや、そう思いまへん?紅麗さん」

「…確かに………ね」

「……へ?」


ジョーカーはくるりと顔を紅麗の方へと向け同意を求めるが紅麗は無反応。そして反応を示したのはの方だった。顔を俯かせて何かを呟いた、聞き取れなかったジョーカーは首を傾げてに振り返るのだがから発せられる只ならぬオーラに表情を一変させる。そして自分の言った言葉が火に油を注ぐものだったということに気付くと忙しく両手を上下にばたばたと動かして状況打破の策を軽くパニック症状を起こしている頭で何とか搾り出そうとするのだ。は小刻みに震える拳を力一杯握り、再び言葉を繋ぐ為に口を開く。


「そうだよ、確かにあたし弱いし天木の訳分かんない幻覚には掛かるし負けたし迷惑かけたし戦いたくないって言ったよ、言ったけどさぁ…」

、さん!堪忍!自分が悪かった、せやから怒らんとっ…」

「けど!!それでもあたし火影じゃないの!?仲間じゃなかったわけ!?あたしの思い過ごし?勝手な妄想だったわけ!?あんな意味不明な命懸けの武祭にまで参加して!あたしだって火影の名前背負ってあたしなりに一生懸命戦ったんだよ!!勝つ為にあんな見た目気持ち悪い昆虫めいた空神にだって手を出したし!痛いの我慢して空神屈服させるのだって頑張った!!あれは全部無駄だったわけ!!?」

「ちょ、さん落ち着いて…!」

「ちょっと泣き言吐いただけじゃん!そんではいそうですかって引くわけ!?ふっざけんなァアアア!!

「ぐっほォオオ!」


怒りに任せて怒鳴り散らすをどうにか押さえようとするジョーカーに対し、紅麗はというと興味無しのようで視界にすら入れていない。一人暴走するは怒りに身を任せ、一番近くに居たジョーカーに見事なアッパーを決めた。誰からどう見ても只の八つ当たりだった。ジョーカーを殴ったことですっきりしたのかは肩で息する呼吸を整えるように何度か静かに呼吸を続けると真っ赤になった顎を押さえながら犬のように吠えるジョーカーを完全に無視して背負っていたリュックを下ろす。リュックの中から韋駄天と取り出し、履いていた革靴を脱ぎ捨てると韋駄天を履く。ジョーカーはを見てぷつりと吠えるのを止めた。そしては最後にリュックから空神を取り出すと躊躇する事無く其れを右手に装着した。は紅麗に振り返る。其の瞳の奥にはメラメラと力強く燃える闘争心があった。


「紅麗さん、同行させて下さい。天堂地獄ってトコに行くんですよね」

「………。」

「天木は絶対に天堂地獄に居る。天木と火影をぶん殴る為にあたしは天堂地獄に行く。迷惑は掛けません、同行させて下さい」

「…好きにしろ」


紅麗は其れだけに言うとジョーカーに視線を向けて目で先を案内するよう言う。其れは紅麗の同行を許可するという合図。ジョーカーは口角を吊り上げると「こっちですわ」と先を指差して歩き出した。ジョーカーの後に紅麗が続き、その後ろをが追う。その場にはの脱ぎ捨てた革靴と、リュックサックだけが残された。





















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