「これって…」


天堂地獄のある場所まで紅麗と同行することになったは封印の地の中を歩きながら天堂地獄のことや其れを森光蘭が狙い、封印の地に来ていることをジョーカーから教わった。トラップが発動された後の道をひたすら歩き続ける。トラップが発動しているということは既にこの場を火影が進んでいったということ、下へ下へと行くほど広くなっていく空間。トラップの残骸達を横目に達が突き進んで行くと目の前に三人のゾンビが氷付けにされたものを見つけた。巨大な氷からはひんやりとした冷たい空気が漂ってくる。


「閻水の力、なんやろなぁ」

「…行くぞ、ジョーカー」

「はいですわ」

「(水鏡先輩…)」


ふむ、なんて言いながら氷を見て呟くジョーカー。すると紅麗はジョーカーに視線を向けて先に進む事を促す。口角を吊り上げてジョーカーは紅麗に返事を返すと氷の前で止めた足を再び動かせ前進した。は最後まで氷を見ていたが、紅麗とジョーカーの背中が遠のけば前へ向き直り再び歩き出す。暫く歩き続ければ目の前に二つの別れ道。ジョーカーは迷う事無く右側の道を通れば続いて紅麗とも其の道に進んだ。は道の先から聞こえてきた音に顔を上げる。


「水の音?」

「地下水脈や。ワシと紅麗さんは問題ないんやけど…さんいけます?」

「…踏み外したら怖いから一気に飛ぶ!」


目の前をかなりの速さで流れる川。点々と岩が水の中から飛び出しており、其処を飛び移っていき向こう側の道へといけるらしい。ジョーカーがに問いかけている間に紅麗はその岩を飛び移って既に向こう側に立っていた。「ほな、お先」とに笑みを向けると続いてジョーカーが岩を次々と飛び移っていき紅麗の隣に着地する。残ったは一度深く深呼吸をすると少し後ろに下がって腰を落とすと韋駄天を使って強く地面を蹴って前へと飛び出した。川へと面するギリギリまで走り一気に飛べば、川の中から点々と顔を覗かしている岩を全て飛び越えて紅麗とジョーカーの隣に着地する。韋駄天があったからこそ出来る行為であった。が来たことを確認するとジョーカーは再び先頭を歩き始める。続いても歩き出すのだがその足は直ぐに止まる事となった。紅麗やジョーカーが立ち止まったからである。


「お前…紅麗…!?」

「へ?」


紅麗とジョーカーの大きな背中によってには前方が見えない。前から聞こえてきた驚いた色の見える女の声にはひょこりと紅麗の後ろから前を覗いた。傷を負い短い髪をした古傷の目立つ女が目の前に立っていたのだ。ジョーカーが女を見て「裏麗…やっとお出ましかいな」と呟くと紅麗やジョーカーの纏う空気が鋭く研ぎ澄まされる。紅麗とジョーカーの雰囲気の変化に女は目を細めると片手に持つトンファーのような形をした刀を構え戦闘体勢に入った。一触即発の空気、そんな中だけが女を敵視していなかった。何処か女から感じる空気が穏やかで敵に思えなかったからである。そう感じられたのは空気に敏感な空神を見に付けているからなのだろう、自身も空気に敏感になっていた。だから紅麗やジョーカーが気付く前に、は気付いたのだ。韋駄天を発動させ紅麗とジョーカーの間から一瞬にして飛び出すと女を突き飛ばすように向っていき押し飛ばす。刹那、女の居た所に幾つものクナイが突き刺さり、女は己の上に覆いかぶさるようにしているを見て目を見開いていた。しかしはというと女の方は見ておらず、顔だけ後ろに振り返り一点を殺気だった目で見ていたのだ。


「くひひひひひひ、待ってたぜェ…!!」

「…会いに来てあげたよ、天木」

「おうおう、嬉しいねェ」


岩陰から姿を現した甘木。は女の上から退いて立ち上がると真っ直ぐ天木に向き合い、強く睨む。愉快そうに心地良さそうに気持ちの悪い笑みを浮かべる天木は片手に三本のクナイを手にしている。は天木を睨みつけながら何時もより低い声のトーンで言葉を発した。


「あたしと戦いたいんでしょ、なら戦う。なのに何で関係ないこの人を狙ったわけ?」

「都合が良かったからさ。女を庇ってお前が串刺しになるのも良し、庇えず目の前で串刺しになる女を見て表情を歪めたお前を見るのも良し。くひひひひひ」

「最っ悪だね、悪趣味世界一名乗れるんじゃない?」

「光栄だな。…さァ、殺し合いを始めようじゃねぇか!!」

「始める必要はないよ」

「!!」


両手を大きく広げ高らかに笑った天木には冷たく言い放ち、韋駄天を発動させ一瞬で天木の目の前に移動する。天木がに気付き行動を起こす前には天木の胸倉を引っ掴むと顔を近づけてにっこりと笑みを浮かべる。笑っているように見えるが目が笑っていない。から発せられる只ならぬオーラに天木は表情を一変させて真っ青になった。が胸倉を掴む手の力を強めると天木の首がぎりぎりと絞まっていく。


「あのさ、」

「(何なんだこいつ…前に会った時と比べものにならねぇ…!)ひ、ひィイ…!」

「何仕様もない嘘の幻覚見せてくれんじゃボケェエエエ!騙されたじゃんかよォオオオ!!!」

「ギャァアアア!!!」


が力一杯拳を握り、渾身の一撃を天木の左頬に決めるとそのまま横に吹っ飛ぶ天木。どうやらこの男、幻覚だけが取り得のようでまるで体力や戦闘能力はないらしい。見事に吹っ飛んだ天木の体が地面に付く前には天木の目の前に移動すると、天木の表情が引き攣った。の表情からは笑みが消え怒りに満ち溢れている。


「ふざけんなぁああああ!!」

「あぶっ!!」


の回し蹴りが綺麗に天木の鳩尾に決まり、甘木の体がまた吹っ飛んでいく。其の先には流れの速い川、止まることも出来ず川へと勢い良く落ちた甘木は溺れそうになりながら川に流されていき直に見えなくなる。すっきりしたと言わんばかりに仁王立ちのは「ざまぁみやがれ!」なんて天木の流されていった方を見て舌を出し吐き捨てるように言えばくるりと振り返り女を見た。女は驚いた様子でを未だ見ている。


「巻き込んでごめんなさい、怪我ない?」

「…いや、大丈夫だ」

「そっか!よかった。じゃ、あたしまだ火影の奴等と森光蘭をぶん殴るっていう使命があるから!」

「あれ、さん森光蘭もぶん殴るつもりやったん?」

「当たり前じゃん!」


はひらりと手を振って女に別れを告げると其の先を進もうとする。しかし森光蘭をぶん殴るという初耳な言葉にジョーカーが少しばかり首を傾げて尋ねればは立ち止まってジョーカーに振り返り力強く拳を握って頷く。そして口角を吊り上げははっきりと言うのだ。


「人として許せないから。例え仮初でも一時期だったとしても、あんな奴に紅麗さんの”父親”だって名乗る資格なし!!絶対この手でぶん殴ってやる!!じゃないとあたしの気が治まんない!!」


そう言ったの目は殺意に燃えているようにジョーカーには見えた。紅麗は何も言わない。女はのそんな姿を見て少しばかり目を見開いたままだ。右手と足に魔導具を装着したは先程の天木との一戦からかなりの導具使いだとは分かるが、女にはの実力よりもまず身に纏っている衣服が目を引いた。制服だ、高校の。何処からどう見ても誰もが何処ぞの学校の制服だと分かる格好の。死が付き物の此の戦場では浮く程の不釣合いな格好だった。


「…何故、私を助けた。敵なんだぞ」

「敵でも自分の所為で誰かが傷付くとこなんかみたくないから。偽善者だって思うかもしんないけど」


女の突然な問いかけには苦笑して答えれば、女の表情が歪んだ。その表情を見ては女から悲痛を感じる。女は一度地面に視線を落とすと再び上げ、を真っ直ぐ見据えて口を開く。


「…何故だ、何故お前は戦う」

「…本当は戦いたくなんかないんだよね、こんな意味のない戦い」


川の流れる音しかしないこの空間、女の声はやけに良く聞こえた。真剣な色をした女の視線からは視線を逸らすことが出来ない。逸らしたいというわけではないのだが。は返事を返そうとすぐに口を開くのだが、言葉が音になって伝わるまで暫しの間があった。少しばかり悲しみの色を見せては眉を下げ女に言う。


「本当は逃げたい、背中を向けて全力でね。だって今にも震えそうなぐらい怖いもん。あたしは何処にでも居る只の学生で、喧嘩だって口喧嘩しかしたことないし、殴り合いの喧嘩だって怖いのに命を賭けて戦うなんて以ての外だし。でも逃げ出さないのは格好悪いとか、そんなんじゃないよ」


今にも震え出してしまいそうな腕を抑えつけるように強く握る。強く握れば血の流れを妨げ少しばかり肌の色が青白く変化した。己の腕に視線を落とせば裏武闘殺陣での戦いでついた傷、主に空神を屈服させる時に付いた幾つもの細かい傷が確かに存在していた。永遠に消えることのない、よく見なければ分からないような薄く小さな細かい傷である。韋駄天や空神を手にする前までは一つの傷もない綺麗な肌が、たった数日数十日でこんなにも変わってしまった。


「あたしには背負うものなんて一つもないのに、みんな背負うものがあって、その為に戦ってる。確かに其れは意味のある戦いなのかもしれない、でもあたしはやっぱり無意味にしか思えない。だってこんな戦いが始まったからみんな背負うものが出来たんでしょ?じゃあやっぱり無意味だよ、こんな戦い意味無いの」


蘇るのは最終決戦の烈火と紅麗の戦い。まるで昨日の事のように一つ一つ鮮明に思い出せる。あの時感じた思いは今も全く変わらない、は真っ直ぐ女の双眼を見据えてはっきりと口を開き思いを言葉にして女に心の内を伝えるのだ。


「あたしは花菱君とかみたいに背負うものなんてないよ、戦う理由だって今までなかった。裏武闘殺陣だって只成り行きで参加しただけだったし。でも、今は違う」


腕を抑えつけるように握っていた手を離し、今度は強く拳を握った。其れはの決意の強さを示しているようにも見える。握っていた手を広げればは空神と韋駄天に視線を落とし、気持ちの悪い外見をした空神を愛でた。


「韋駄天も空神も、あたしのところに渡ってきたのは多分偶然じゃない。あたしは戦う運命にあったんだと思う。あたしは逃げない、逃げてもどうせ追いかけられるんだったら正面からぶち当たってやる。こんなあたしでも何か出来ることがあるはずだから。盾にでも捨て駒でも何にでもなってやる、あたしはあたしが出来ることをするの。それで守れる人が居るなら」


裏武闘殺陣に参加し火影として戦ってきたという事実がある以上、もうこの戦いから身を引くことが出来ないのをは分かっていたのだ。天木と初めて会った日、紅麗の幻覚を見せられた時からこうなることは予想していた。恐怖の気持ちが戦う覚悟を邪魔して、自然と口から戦いたくないと弱音が出たのだ。脳裏に浮かぶのは煉華の手により海へと落ちていった紅麗の姿。もうあの時の様な思いはしたくない、ただその一心だった。


「誰かが終わらせなきゃいけないんだ、こんなくだらないこと。これ以上こんな無意味な戦いで傷付く人とか悲しむ人を増やしたくない。だからあたしは戦う。此処で逃げたら絶対に後悔するから…後悔したくないし。これがあたしの戦う理由だよ。大切な人なみんなを守る為にあたしは戦う」


顔を上げては優しい微笑を浮かべ女に告げた。其の瞳は力強く、強い意志を感じる。の決意が今後どんなことがあろうとも曲がることも変わることもないのだろう。女にはそう感じられたのだった。口角を吊り上げ女を見たままは女を真っ直ぐ見、はっきりとした声色で言葉を繋ぐ。


「森光蘭に天堂地獄は渡さない、柳ちゃんだって渡さない、父親だなんて名乗らせない。今まで奪うことしかしてこなかったあの人だけは許さない」


己の気持ちを嘘偽り無く素直に女へ告げる。するとは行き成り視線を下へと下げ顔を俯かせた。「それに…」とが言葉を繋ぐのだが心なしかその声は暗く先程の強気な雰囲気からは少しばかり離れたような、そんな色をしていた。


「女の人にとって結婚って凄く特別なんだよ、政略結婚とか親に決められて相手を選べなかったりとか結婚の仕方なんて色々あるけど、それでも結婚は特別で女の子の夢。森光蘭のお嫁さんだって、あんな奴でもきっと愛してたんだと思うの。だから、余計に森光蘭は許せない。愛する人に爆弾を仕掛けて殺そうとするなんて絶対にしちゃいけない。愛する人は大切に大事にしなきゃいけない、守ってあげなきゃいけない。なのに利用して手をかけようとした森光蘭だけは、本当に許せないの。だから森光蘭は一発は絶対にぶん殴る。じゃないとあたしの気が済まない」


ある意味それが本当の気持ち、森光蘭を倒したいという真の動機なのかもしれない。現在水鏡凍季也という男に恋をしているにとって、許しがたいことだった。もしも自分が森光蘭の妻、月乃の立場だったならば水鏡に体内に爆弾を仕掛けられ殺されそうになったらショック過ぎて立ち直れないかもしれない。月乃が森光蘭を愛していようが愛していなかろうが自分の夫の手により殺されそうになるなんて心に傷が付かないはずがないのだ。愛する者の裏切り、これ程心に響くものはないのだとは思っている。強く拳を握り締め女に訴えるように告げたには、既に先程の暗さはなく強い決意を持った瞳に戻っていた。最後に付け足すように「あとあたしを除け者にした火影のみんなも一発ずつね!」とは歯を見せて笑って言えば、女は口角を少しばかり吊り上げてに笑みを見せる。今まで黙っての話に耳を傾けていた女がゆっくりと口を開いた。


「お前、名前は?」

「あたし?!」

「私は緋水。…お前の健闘を祈ろう」

「ありがと!」

「ほな、お話もきりがええっちゅーことで先進みますで」


と緋水の話の区切りがついたところでジョーカーが明るい声でそう告げれば再び其の先を歩き出す。続いて紅麗が歩き出し、も歩き出せば一度振り返り後方に立ち止まったままでいる緋水を見て大きく手を振った。優しい笑みを浮かべて緋水もに手を振り返す。直に見えなくなるの後姿を見届け、一人その場に残った緋水は呟くように言葉を発した。


「見てるか?ヒデキ…あの子は、大切な者を守る為に戦うんだってさ。……私も、これからはそう生きていけるかな…」


緋水の声は川の音に掻き消され、洞窟内に響くこともなく消え去る。





















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