最初の建物から出て反時計回りに突き進む火影。森林の中を歩き続け、施設やドームのポイントを見つけるたびにジャンケンで分断してきた火影。土門、烈火、風子、小金井の順番に別行動になっていき、現在行動を共にし次のポイントまで歩いているのは陽炎、、水鏡の三人だ。三人の間に会話はない。元々陽炎や水鏡は烈火や風子、土門等のようにお喋り好きというわけではない。故に自然と沈黙になるわけで、沈黙が苦ではなかったは今の沈黙の状況を変えようともせず只黙々と足だけを前へ前へと動かせる。そして漸く見えてきた5つ目の建物、研究所を前にして三人は足を止めて顔を見合す。


「5つ目のポイントね。…どうする?」

「んー…。じゃあ、あたし行くよ!」

「そう?じゃあお願い。気をつけて」

「了解!(ここで陽炎さんが行っちゃうと水鏡先輩と二人に…うあああ想像するだけで気まずい!無理無理無理!)」

「(大方、気まずいみたいな事を考えてるんでしょうね…)」


が明るい表情で自分が行くと告げれば小さく微笑みを浮かべて答える陽炎。の心情は陽炎にはバレバレのようだ。は陽炎に口角を吊り上げて返事をすると軽く両手を組んで上へと挙げて背筋を伸ばすと、屈伸をして軽くジャンプ。準備万端、いざ行かんと建物に向かって方向転換し進もうとすればの背中に向かって掛けられる声。


「無理はするな」


の鼓膜を揺らしたのは優しい声だった。暫くの間、自分に向けられることのなかった声が今、自分に向けて発せられている。胸がくすぐったい、感情が昂りそうな感覚になる。高まり早く鳴る鼓動を押さえつけて、は振り返った。真っ直ぐとを見る、いつも通りの表情をした水鏡がそこに居た。


「……はい!」


気まずさは、まだ感じている。けれどこの瞬間、それが嘘のように感じられた。こうも普通に接してくれる、気まずさを感じていたのは自分だけだったのかもしれない。失恋しても今まで通りに接してくれるのが嬉しかった。今でもやっぱり好きな人、いつもいつも想ってた大好きな先輩、たった一言だったが、その言葉は魔法のようで、の力の源となる。自然との表情に笑顔が浮かび、は照れ隠しもあって研究所に向かって駆け出した。韋駄天を履いていることもあってか、の走りは火影の中で一番早い。故に彼女が普通のペースで走っているのも、火影達からしてもそれなりの速さだったりする。あっという間にの姿は木々の葉が障害となって見えなくなる。暫くすると、水鏡が次のポイントを目指して歩き出し、その後ろを陽炎が穏やかな表情で歩き出す。


「(さんも変わったけれど…水鏡くんの方が変わったようね)」



















「は、恥ずかしかったぁあああぁああああ!!」


真っ赤な林檎やトマト顔負けの赤面顔で研究所に逃げ込むように入って来たのはだ。研究所に入るなり上げる心の叫び。湯気でも出てるのでは、そんなことを思いながら頬を手を当てて熱を下げようと努力をするがなかなか収まる気配は無い。


「(無理はするなだって!ちちちちょぉおおおお心配されたぁぁああああ!!嬉しすぎる…!)」


研究所の中をふらふらと歩きながら先程のことを思い出す。久しぶりの会話はの気持ちを昂らせるのには十分なもので、は振られた今でもまだ水鏡のことが好きなんだと身を持って知らされる。元々、振られただけで簡単に諦める程の軽い気持ちでもなかったし、消えてなくなるような感情でもなかったのだが。


「いやいや集中!集中しろ!今は戦いの途中なんだから!」


ぺしっと両手で両頬を叩いてまだまだ収まることのない感情を無理矢理押さえ込む。そして幾度か深呼吸を繰り返せば気持ちも大分落ち着いてきた。一度立ち止まって周囲を見渡す。人の気配は―――ある。空神を身につけている間、は空気にかなり敏感になる。それは空神の能力故の特権だと言えるものだ。立ち止まり周囲に神経を集中させ、呼吸によって空気が震えている所―――この研究所にいる裏麗の人間がいる場所を突き止めようとする。しかしがその空気の震えの根源を突き止めるよりも先に、研究所内にアナウンスが流れた。


『ウェルカム!レディ〜〜!!』


刹那、微弱に聞こえた機械音。モニターの電源が入る音が聞こえては右手を振り返る。何も表示されていなかったモニターに一人の糸目な男が映っていた。見覚えのない男ではあったが瞬時には裏麗の人間だと悟る。


『驚いたよ、行き成り大声上げて入ってくるもんだから誰かと思った。でもあの神速のさんが来てくれるなんて嬉しいなあ!』

「………。」

『アララララ、つれないね。返事してくれてもいいのに。もうちょっと会話を楽しみもーよー。さんに聞きたいこともあるんだよね、裏武闘殺陣に出るまで只の女子高生だったって本当?』


モニターに映った男を一目だけ見るとは直ぐに前方に向き直って歩き出す。明るい声色で残念がる男の声が聞こえてくるが、残念そうにはまるで聞こえなかった。そして男は今まで何度か言われたことのある質問をにぶつけた。只の学生だったのか本当か、この問いにの頭はすっと冷たくなって冷静になり、同時に少しばかり熱っぽくなる。只の女子高生だったのは事実。けれどだった、じゃない。は今でも只の女子高生だ。確かに魔導具は持っているし戦える、けれどは只の女子高生だ。何処にでもいるような女で、同じ学校の子と同じ制服を着て学校に行く、普通の学生。過去形にされたのが何故かは許せなかった。あの平凡を、また取りも出すのだ。の決意が更に強く固められる。は静かに、何時もより少しばかり低いトーンで言う。


「…ディスクは何処ですか」

『そうだね、データディスクが欲しいんだっけ?じゃあ、右に入り口があるから入ってみなよ。心配しなくても罠じゃないから大丈夫』


男のアナウンスを聞き、は右手を横目で見る。分厚い鉄で出来た自動ドアが其処にあり、は自動ドアの前に立つ。罠だろうが罠でなかろうが、そんな言葉は信じていない。敵の言葉を信じきれる程、は素直な性格ではなかった。いつでも何が起きても対応出来るよう空神は直ぐに発動できるように心は構えておく。警戒も怠らない。自動ドアが左右に開き、は目に飛び込んできた光景に目を見開いた。


『ちょっとしたショーを見せてあげたいのさ』


男の声が何処か遠くに聞こえたような気がした。それは男へ対しての怒りからなのか、それとも今の光景が信じられないものだったからか。


『野生のキツネの親子だよ。電流を死なない程度、浴び続ける母ギツネ。それを見て助ける事もできずもがいてる子ギツネ。子ギツネは己の体が傷付いていくのも顧みず、前に進もうとする!!実に涙を誘うシナリオだ』

「空神!!」


は即座に空神を発動する。空気を細い針のようなものに圧縮し、母ギツネの入れられているケースと子ギツネの首を絞めている鎖に向かって数本ずつ飛ばした。ケースが割れ、電流の流れる中から脱出する母ギツネ、繋がれていた鎖が切れ自由になった子ギツネは母ギツネに駆け寄って身体に擦り寄る。そんな子ギツネの身体を優しく舐める母ギツネ。ほっと、が安堵の息を吐こうとした時だった。


『素晴らしい。だけど…エンドテロップはまだ流れないんだよ』


男の言葉を合図にしたかのように、母ギツネの身体に異変が起きる。ドクンと波打った体、額から鋭い凶器になりそうな角が生え、巨大化する身体、醜く変貌する容姿、それはもうキツネと呼べるようなものではなく、どうみても母ギツネには既に意識はないように見える。母ギツネは目の前にいた子ギツネを鋭く生え変わった爪で引っかくように、叩くように子ギツネを襲うと、子ギツネは少し離れた場所に体を床に打ち付けた。そして身を起こせば体を震わせ怯えながらも恐ろしい姿に変貌した母ギツネを見上げている。


『ああ!なんという事でしょう!!子ギツネが必死で守ろうとした……母ギツネは既に―――化物でした』


大きく唾液を流しながら開かれた口、幾つもの鋭い歯が光に反射して光り、母ギツネは子ギツネに鋭い爪を振り上げて襲い掛かろうとする。は即座に神慮伸刀を引き抜くと刃の切っ先、鋭く細い部分で必要最低限、確実に殺せる程度の浅い傷を母ギツネの首につける。母ギツネの爪が子ギツネに及ぶ直前、母ギツネの体は傾き、子ギツネの目の前に倒れる。ぴくりとも動かない母ギツネの体、斬りつけた首元から血が流れて床に染みを作っている。は例え化物になってしまっていても、こうして赤い血が流れる生き物を殺したのは、今この瞬間が初めてだった。森光蘭は死ななかったし、黒塚の時は空神が戦っていたのも同然なので殺してしまった実感はない。殺した実感も感触も死に値する量の血を見るのも、その血を流させたのも、は今回が初めてだった。罪悪感に襲われる、自己嫌悪しそうになる、けれどは後悔はしないことにした。已む得ないことだったのは、理解しているから。子ギツネは寂しそうに鳴きながら母ギツネの遺体に近付いて舌を出し、醜く変貌した母ギツネの体を舐め続ける。


『…なぁ、お前は自分が化物だって思ったことはねぇか?今まで殴り合い喧嘩すらした事のなかった只の女子高生の自分が、行き成り魔導具を渡されて戦えるようになる。それも今まで負けなしだ。それも、使いこなせる奴も居なければ、あの紅麗ですらお手上げだった魔導具、空神を自在に操る女!そんな自分が、不気味に思わねぇか?』

「………。」

『おい、化物。お前こそがこの脚本を演じる主人公なんだぜ。気に入ってくれた?』


男の言葉には反応を示さない。確かに男の言うことも最もだ。だが、にとってはそんなことどうだって良い。戦う術がある、それだけのこと。化物と言いたいのなら勝手に言っていれば良い、は傷付かない。敵にどう思われようが関係ないのだから。は男の言葉に傷付いているわけではない、男の言葉に落ち込んでいるわけではない、男の行動に腹を立てていた。は部屋の角にあるカメラに向かって氷のように冷たい表情と視線を向けて言葉を発する。


「出て来たら。ぶん殴ってやる」


男からの返事はない。は視線をカメラから子ギツネの方へと向ける。子ギツネはを前に唸りながら警戒心むき出しだ。当たり前である、見た目は変わってしまっても、あれは子ギツネにとっては母であり、その母を行き成り現れた人間に殺されてしまったのだから。は子ギツネから視線を逸らす。少なからず、の心には傷が付いていたのだ。はこれからどうするかを考える。このまま子ギツネを此処に置いてディスクを奪いに行くか、それとも子ギツネを連れ出し外に逃がして子ギツネの安全を確保してからにするか。否、外に逃がしたからといって安全とは言い難いかもしれない。結局どうするかは決まらない、とりあえず先にディスクを取りに行こうか。そう思い自動ドアの方へ方向転換しようとした時だった。ガシャンと音を立てて勢い良く閉まる自動ドア、そして部屋中の至る所から吐き出される異様な臭いのする煙。


『完全密室!!そして毒ガスだ、化物。これでてめぇもお終いだな!ウヒヒヒヒーーーっ!!』


男の声が部屋に響き渡る。その耳障りな笑い声を聞きながらは一歩、また一歩と前へと踏み出した。毒ガスで咳き込み苦しそうな子ギツネ。毒ガスに覆われ視界が何も見えなくなる。つい先程まで男は部屋の中の様子をカメラで監視していたが、そのカメラにも毒ガスの影響で何も映らなくなる。故に男は気付くことができなかった。きらりとの右腕にある空神の宝玉が一瞬怪しく光ったことを。





















inserted by FC2 system