「5分…」


タイマーの指す時間を見て男は小さく呟いた。男の目の前のモニターには大画面で今は毒ガスが充満しており、その煙で何も見えないが、母ギツネの遺体と、子ギツネ、そしての居る部屋が映っている。男は充分毒ガスが行き届き、死んだだろうと考えると毒ガスの放出を止めて、逆に視界を遮る煙を吸い込んで部屋の状況が分かるようクリアにさせる。男の表情は下品で厭らしい笑みが浮かんでいる。煙がどんどん晴れていき、徐々に見えるようになってきた部屋の中。そして完全に部屋の中が見えるようになった頃、其処には母ギツネの遺体しか無く、壁には人一人通れる程の穴が開いていた。男は驚き椅子から立ち上がりモニターを凝視する。


「!?いねえ!!?壁に穴…?クソッ!!空神の力か!?どこだよ……他の部屋!?」


男は動揺を隠し切れないで居た。あの部屋は壁も分厚く、魔導具の力じゃ穴を開けて突破するのは不可能だと男は踏んでいたのだ。実際、は空神の力を使って突破したのだから完全なる男の読み違いである。しかし、それだけならまだ良いといえるだろう。男には一つ、理解出来ないことがあった。壁に穴が開けばそこから脱出出来る、毒ガスから逃れることが可能だ。だが穴が開いてしまえば毒ガスは充満する事無く、その穴を通って流れてしまう。つまり、だ。穴が開けば毒ガスは部屋に充満しない。カメラが毒ガスの煙によって視界を遮られることはなかったはずであり、すぐにが部屋から脱出したことを気付く事が出来たはずなのだ。穴が開いた壁、だがまるで穴が開いていないかのように毒ガスの煙が充満していた部屋。男は何故だか分からない。男は知らない。が空神を使い、開けた穴を塞ぐように空気を圧縮した壁を穴の部分に当てて毒ガスが逃げないよう蓋をしていたことを。男は姿のないの姿を捜すことにした。大画面の左右にある小さなモニターで他の部屋の様子をカメラで確認する。しかし何処にもの姿は無い。


「い…ねえ!!いねえ!!どっこにもいねえ…!!カメラに写らねえ所にかくれてんのか!?……そんなはずねえ!!この施設は全ての場所にカメラを置いてる!!………いや…カメラがねえ所が一つだけある!!」


男はモニターに背を向けて部屋の中に視線を配る。カメラが置いていない場所、それは置く必要が無い場所。何故ならば他の部屋に設置しているカメラで部屋を監視する部屋、つまり現在男がいる部屋である。男の呼吸が荒く鳴り出し、己の武器である大きく切っ先がやけに仰け反ったナイフを両手に取り出す。男が幾ら部屋の中を見渡し警戒していてもの姿はない。刹那、天井が激しい破壊音と砂埃を上げて穴が開き、砂埃の中からが子ギツネを片手に抱えて降り立った。膝を曲げて片膝を軽く着き、部屋の床に着地した。立ち上がって男の双眼を見る。絶対的に敵視した視線、躊躇いや迷い、手加減なんてものを知らぬような冷たい表情。男の顔に脂汗が浮かぶ。


「ヒ…ヒヒ…上に隠れてたとはなぁ!!」


此処は最上階の部屋。この部屋の上は所謂屋外であり屋上とも言える場所。そんな場所、監視カメラを置くことはない。は壁に穴を開けた後、穴を空気を圧縮した壁で穴を塞ぎ、部屋から出た瞬間韋駄天を発動したのだ。目にも映らぬ速さで移動可能な、機械のカメラがその姿を捉えることはなく、は監視カメラが設置されている廊下を堂々とど真ん中を走りぬけ屋上まで行ったのだ。そして屋上から空神を使い、男の呼吸で震える空気の居場所を探知すれば、その部屋の上空に立ち、足元を空神の力で粉砕し、穴を開けて、現在のようにこの部屋へと侵入したのだ。


「ギッ…ギャ…」


の手に抱えられている子ギツネはの手の甲を鋭く尖った爪で引っかき続ける。手の甲から滲み出るの赤い血、が手を離すと子ギツネは軽やかに着地を決め、モニターのあるデスクの下の隅へと身を隠す。は傷付いた己の手の甲を見た。沢山の引っかき傷、大した傷ではないものの血が滲んでしまっている。それを見た男が高らかに笑った。


「あらら!?痛えのか!?子ギツネに付けられた傷が!面白えよ!!笑わせてくれんな!?母を失った子ギツネの心を想えばこその痛み、殺めたのが自分である事の痛みだ。け!!キレイ事言ってんなァ偽善者!!我が名は裏麗忍者…」

「ごちゃごちゃ五月蠅いってんだよボケェエエエエエ!!」

「ぐっぼォアアァア!!」


男がナイフを掲げてに襲いかかろうと、そして己の名を名乗ろうとする。しかし男がにナイフを振り下ろすよりも名乗るよりも早く、は腹の其処からの怒鳴り声を上げると怒りに身を任せ、己の拳を強く握り男の顎に殴りつけた。魔導具は使っていないというのに見事に吹っ飛ぶ男の体。の怒りが一時的に体のリミッターが外れたらしい。壁に叩きつけられた男はぐったりとしながら顎を赤く腫らし、壁に背中を擦らせて床に座り込む。は男に歩み寄ると男の胸倉を引っ掴んで無理矢理立たせたならば、にっこりと笑顔を浮かべ、青筋を浮かべながら再び拳を握った。


「ぶん殴るって言ったよね言ったよ一回じゃ済まさないから何回もぶん殴ってやる。覚悟しやがれ馬鹿

「………!!」









床には既に顔の原型を留めていない男が意識不明で白目を向いて倒れている。はモニターに近付くと其処にディスクがあることに気付いた。ディスクを取り出し、手にとれば小さく息を吐く。一人一枚必ず確保しないといけないディスク、最初は少し不安ではあったがこうして確保出来て少しばかり安心してしまう。この場を後にしよう、踵を返そうとすれば足元に感じる感触。視線をディスクから外し下へと落とせば子ギツネがの足元まで来ていた。先程まで触れられることも近付くことさえも拒んでいた子ギツネが、子ギツネの意思でに近寄ってきたのだ。は目を見開いて、ディスクを一度デスクの上に置けば膝をついて屈み、子ギツネに手を伸ばす。子ギツネはの手の匂いを嗅いでいるのか、鼻をくんくんとさせれば、暫くしての手をぺろりと舐め出し、子ギツネが先程つけた爪の傷を癒すかのように舐め出す。は驚きながらも心が温かくなり、鼻の奥がつんとするのを感じた。子ギツネを抱き上げれば今度は抵抗せず、すんなりと自分を受け入れてくれる子ギツネ。は優しく子ギツネを抱きしめた。




















子ギツネの首に未だ付けられていた首輪と切れた鎖を空神で粉砕して取り外した頃にはすっかりとに懐いていた子ギツネ。が歩けば尻尾を振って後を追ってくる子ギツネ。そんな子ギツネに胸がきゅんとするのを感じながらは研究所内を歩き回る。そしてパソコンが幾つか置かれている部屋を見つけると迷う事無く部屋へと入り、手に入れたディスクを入れる。キーボードを叩きディスクの中を確認すれば中にはデータが入っていた。と書かれたフォルダをクリックすれば表示されるURL。URLをクリックすれば開かれるのはSODOMのホームページだった。は迷わずBBSをクリックすると既に書き込まれている五件の記事に目を通す。


「一件目がHPの管理人からの挨拶文で…二件目が死四天のキリト?の予告メッセージ…死四天ってなんか不吉な名前、普通に四天王とかじゃ駄目なのかなー…。三件目は石島くん…っと、おお。ディスク手に入れたんだ、すごー。ってか音遠って麗の音遠さん?…よく分からん…って何か石島くんが二件たて続き…」


変なマスクを被った太った小男のキリトを発見したという土門、若い女のような顔をした隻眼のキリトを発見したという土門。子ギツネがモニターに視線を滑らせているの頬をぺろりと舐める。は暫く考えた後、キーボードを叩き出す。


「多分両方とも石島くんじゃないよねぇ、何となくだけどさ。とりあえずキーワードでも最後に書いて、本物だって分かるようにするべきだよね、これ」


カタカタっと一定のリズムを刻みながらキーボードを押して文字を入力する。ディスクをゲットしたということ、今は研究所にいること、更に奥に進むこと、情報操作による混乱がないようにキーワードを書くのが良いと思うということを順番に綴っていく。そして最後にキーワードとして土門が風子に好意を寄せていることを書き込めばパソコンの電源を落としディスクを取り出す。椅子から立ち上がれば子ギツネはの肩へと飛び乗った。は肩に乗り擦り寄ってくる子ギツネを横目で見ると子ギツネの頭を撫でながら心の中でそっと溜息を吐く。


「(ここまで懐かれると何か、お別れのとき切ないなぁー…この子可愛いし…いやいや、元々野生のキツネなんだから野生に返さないと!)」


肩にキツネを乗せたままは歩き出す。部屋を出て廊下を歩き、研究所の出口まで出てくると扉を押して外へと出た。子ギツネを抱えて地面に下ろせば屈み込み、子ギツネの頭を撫でながら言葉を発する。


「ほら、山に帰るんだよー。あたしと一緒に居たって危ないだけだし、ね?」


子ギツネは尻尾が千切れんばかりに振り回し、ひたすらぺろぺろとの顔を舌で舐め続ける。絶対に分かってない、そう悟ったは眉を八の字にすると困ったように首を少しだけ傾げて子ギツネを見る。きらきらとした瞳でを見上げ、擦り寄ってくれば舐めてくる。可愛い、可愛すぎる。そこらの犬や猫より可愛い。の心が揺らいだ。は暫く黙り込むと、真剣な表情を浮かべて子ギツネに問う。


「…あたしと一緒に来ると危ないし、怪我するかもしれないし、もしかしたら死んじゃうかもしれない。それでも一緒に来たい?」


キツネが人の言葉を分かるとは思っていない。それでも真剣な顔をするを真っ直ぐ尻尾を振るのも止めて舐めるのも止めてじっと見ている子ギツネは、まるで人の言葉を理解しているかのようだった。子ギツネは暫く黙り込むとぺろりと一度だけの顔を舐める。それは、子ギツネの返事だった。は優しい微笑を浮かべて子ギツネを抱き上げる。


「じゃあ名前を決めないとね!…そうだな、フォックスにしよっか。キツネだし!家に帰ったらお母さんとお父さんにも言わないとね、犬も飼ったことないけど、多分許してくれるだろうし動物好きの両親だから可愛がってもらえるぞー」


くしゃくしゃとフォックスの頭を撫で回せば、嬉しいのか先程以上に尻尾を振り回しぺろぺろと舐めてくる。そんなフォックスを肩に乗せればフォックスはそのままの繋ぎの服についているフードの中へと入る。どうやらフードの中が気に入ったらしい。はそんなフォックスに心をハートの矢で打たれたならば次のポイントへと向かう為、歩き出そうと一歩足を前に踏み出す。


「おぉーーーい!!!ーーーー!!!」

「あ、石島く…」


涙を流しながら全力でこちらに走ってくる土門に、は片手を上げて大きく手を振っていたのだが、必死な表情で走る速度を下げずにこちらに向かってくる土門に危機感を感じれば、ほぼ無意識に空神を発動していた。土門の目の前に空気の透明な壁を作れば、土門は壁に全身でぶつかってそのまま弾かれるように後方に軽く吹っ飛ぶ。赤くなった顔面、どうやら相当強く打ち付けたらしい。どれだけの速度で走ってきていたのかを物語っているようだ。土門を尻餅をついたままの体勢で赤くなった顔を片手で覆い声を上げる。


「痛ってぇええええ!!行き成り何すんだ!!」

「あ、や、ごめん。なんか迫力に負けて、つい。何か恐ろしかったから、うん」

「………。」

「とりあえず怪我らしい怪我してないみたいでよかったよー」

「おうよ!!も元気で何より!!…つーか、そのキツネどうしたんだよ?」

「(切り替え早いなぁ…)ああ、今日から飼うことにしたんだー。名前はフォックス。可愛いっしょ」

「(ネーミングセンス…)」


声を荒げてきた土門には表情に無理矢理笑みを浮かべて言えば、土門は口を噤んで黙り込む。しかし土門が単純な男であることを知っているは話をがらりと変えてみることにした。の予想通り、の話に乗った土門は先程までの表情はなく、明るいものに変わっている。は土門のこの切り替えの早さに心底関心と呆れを感じるがあえてそれは口にしないことにする。口にしてしまえばまた振り出しに戻ってしまうのが目に見えているからだ。土門はのフードの中におり、顔だけをこちらに向けている子ギツネに気が付けば、かなりに懐いているように見える子ギツネを指差してにどうしたのか尋ねる。は笑顔を浮かべながら片手でフォックスの頭を撫でながら答えると、フォックスは嬉しそうに目を細めての首に頭をすり寄せる。土門はの何とも言えないネーミングセンスに何と言葉をかければいいのか分からなくなり再び口を噤んだ。しかしそれは一瞬のことであり、土門は手に入れたディスクの事を思い出すと明るい声色でに言う。


「ああ、そうだ!ところで…ヂャン!!!」


土門の掛け声に揃えてと土門は同時に入手したディスクを見せ合う。土門はディスクを口に咥えると何の疑いもなく自信満々に次の言葉を口にするのだ。


「今ここにあるのが二枚!ピラミッドの中で風子も一枚取ったらしいから、これで三枚だ!!」

「え?風子ちゃんも?さっきネット見てたけど風子ちゃんは居なかったんだけどなー…。風子ちゃんに会ったの?」

「イヤ!!風子は先に進んだって!あいつに負けた敵がそう言ってた」


土門の言葉にの眉間に皺が寄る。脳裏に浮かぶのは先程まで見ていたネットの掲示板。キリトの予告のメッセージ。もしかすると風子がキリトのターゲットになっていたのかもしれない。はこの事を土門に告げるため、声を掛けようと言葉を発しようとした瞬間、少し離れた場所から悲鳴が聞こえてきた。


「ひゃぁああぁあぁあ!!!」

「悲鳴!?」

「こっちだ!!!…って速!!


悲鳴が聞こえてきた瞬間、は地を蹴って悲鳴の方向へと駆け出す。同時に土門を駆け出したのだが元々足が速い上に韋駄天を履いている、直ぐに土門を追い抜いて悲鳴の聞こえた場所へと到着する。続いて土門が到着すれば、目の前には一人の老婆が二体のロボットに襲われそうになっているところだった。は本日初めて見るロボットに目を見開く。


「ロボット!?」

「V−Uだ!!まかせろ!!」


土門はそう言うとロボットの方へと駆け出し、一体目を蹴り飛ばし、二体目を殴り飛ばす。たった二回だけの攻撃だが、そのパワーは人並みはずれたものであり、ロボットはばらばらに破壊されて地面へと落ちた。勿論土門には傷一つない。相変わらず馬鹿力とも言える土門には呆れたような笑みを浮かべた。


「(いつ見てもすんごい力…)」

「平気か、バアちゃん!?」

「おうおう…助けてありがとよ…」


達には見せないような満面の笑みを浮かべて土門は老婆に手を差し出す。突然のことに驚きを隠せないでいた老婆だが、数度瞬きを繰り返すと眉を下げて礼の言葉を述べた。その瞬間、の目が少しばかり鋭く。の心に浮かんだ疑惑に追い討ちをかけるように空神がビクンと脈打つ。





















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