「悪いな、よろしく頼むよ」

「別にてめえの頼みでやるんじゃねえ!!俺はこのジイさんの世話人だったから!せめて墓くらいつくってうあるんだからよ!」


ルートG、エレベーターを降りた所で水鏡は師である巡狂座と再開を果たす。一太刀入れる度に少しずつ真実を語るといった巡狂座。そして巡狂座が真実を全て語れば、巡狂座は己の人生に幕を閉じる。息を引き取り冷たくなりだした体を、巡狂座の世話人だったという男が抱き上げた。


「ジイさん…キライじゃなかったよ。よく話してくれた。だいたいてめえの話だったがな」

「(師………おじいさん…………)」


巡狂座を抱えた世話人と水鏡はお互い背を向けた形で真逆の方向を歩き出す。水鏡の脳裏に浮かぶのは幼き頃の自分と、いつも傍に居てくれた巡狂座の姿。水鏡にとって巡狂座という存在は、父も母も姉も死んだ時、一人になった自分を助けてくれたもう一人の父親でもあった。剣を教わり、学問も教わり、熱で寝込んだ時はずっと看病をしてくれた。巡狂座は仇ではなく師であり、家族だった。最後に巡狂座が見せた表情は、とてもとても穏やかで優しいもの。


「(僕は巡狂座を継ぎません。もうすぐその名は必要なくなる。全ての戦いは終わる。狂座はもう二度と巡らない)」


水鏡は奥にあるエレベーターに足を向ける。が、その場に立ち止まった。そして自分が此処まで来るのに乗ってきたエレベーターの方へと視線を向ける。森光蘭に戦いを挑む事に恐れを抱いているわけではない。



     『この戦いが終わったら、聞いて欲しいことがあるんです』



此処へと来る直前に、優しい笑みを浮かべて言われた言葉。暫く悩んだ後、水鏡は先程乗ったエレベーターの方へと足を進めれば迷うことなく乗り込む。聞こえ始めた機械音、動き出したエレベーター。下へ下へと降りていく感覚が体を襲う。



     『戒…彼はいろいろな事を僕に与えてくれました』

     『一人だった僕に―――、一人ではない事を気付かせてもくれました』

     『僕は決して一人じゃなかった』



     『たくさんの仲間が―――僕を変えてくれたんです』




何が自分を変えたのか、水鏡の氷を溶かしたのかを問うた巡狂座に返した己の言葉を水鏡は下へと降りるエレベーターの中で思い返す。まず浮かんだのは戒だった。自分を一番変えてくれたのは、友の彼だったように思う。そしてずっと共に戦ってきた火影という仲間―――烈火、柳、土門、風子、小金井、。沢山の仲間が己の氷を溶かし、変えてくれた。水鏡の脳裏に今までのことが全て蘇る。柳の神を閻水で斬りおとしたことや、音遠との戦いで烈火とタッグを組んだこと、紅麗の館で初めて小金井と刃を交えたことや、風子に殴られたこと、土門が仲間だと言ったこと、そして最後にの満面の笑みが浮かび、いつも前を真っ直ぐ見て一生懸命に戦ってきたの姿が浮かんだ。


「何よりも僕を変えてくれたのは―――君だったのかもしれない」


水鏡の呟きは誰にも届くことはない。無機質な音を立てて止まったエレベーターに開いた扉。元の場所に戻ってきた水鏡は決して逃げる為にではない。己が乗っていたエレベーターから降りると、水鏡はその左隣、一番左端のエレベーターへと視線を向ける。そこはが乗っていったエレベーターだ。


「………。」


水鏡は何も口にせず、の乗ったエレベーターの扉の前に立てば待ってましたと言わんばかりに開かれる扉。中へと乗り込めば扉は自動的に閉まり上へと上がっていく浮遊感に襲われる。エレベーターが上へと上がっていく。水鏡はエレベーターの中で思った。すでには先へと進んだのか、それとも苦戦しているだろうか、自分が階に着いた時にはもう居ないかもしれない、居るかもしれない。けれど、この瞳で確認すれば全て分かる。水鏡は思考を止めてエレベーターが止まるのをただ、待つ。そして漸く、エレベーターが止まると開かれる扉、水鏡は迷わずエレベーターから降りた。目の前の廊下の先には少しばかり大きめの扉があり、何故かが飼う予定のフォックスがその扉に向かって歯を剥き出しにし唸っており、ひたすら爪をがりがり言わせながら扉に傷をつけている。水鏡は不審に思いながらも扉の向こうに気配があることから、まだが中にいるのだと判断し、歩を進め扉に近付いていく。水鏡が扉の前に立つがフォックスは気付いているのだろうが振り返ることすらせずにひたすら爪で扉を傷つけている。水鏡が扉を押し開けた。開いた隙間から体を通して中へと一目散に掛けていくフォックス。扉を開けきった所で水鏡は部屋の中を観察した。ごつごつとした印象を与えるような大きな部屋。部屋というには少しばかり広すぎるような気がする。お世辞でも綺麗とは言えないような場所には三つの人影があった。その内二つの影が床に倒れており、内一つの影にフォックスが近寄っており、フォックスは悲しそうな声で鳴きながら影の頬を舐め続けている。水鏡は目を見開いた。


「……!」


水鏡は傷だらけで至る所から出血し倒れているに駆け寄る。仰向けで横たわるの肩を抱いて上半身を抱き起こすがは瞼を閉じたままで意識はない。フォックスはの周りをぐるぐると歩き回りながら心配そうな瞳でを見上げていた。水鏡はすぐにの容態を確認する。


「(傷は多いが出血はそれほど酷くはない…意識がないだけで命に別状はないな…)」


水鏡の視界にフォックスの姿が映る。フォックスは先程までとは違って動き回るのをやめ、まるで犬のお座りのようにの傍に大人しく座ってじっと水鏡の双眼を見ていた。水鏡は小さく笑みを浮かべるとフォックスに向かって優しい声色で言葉を掛ける。


「大丈夫だ。お前の主人は無事だよ」

「ギャウー」


フォックスは一鳴きすると腰を上げてに近付き、傷付いた腕や手の甲から出血した傷を癒すように舐め始める。水鏡はそんなフォックスの様子を眺めていると、すぐ近くに倒れている一つの影を見る。細身の気味の悪い容姿と雰囲気を持つ男、一度は交戦している水鏡はすぐにそれが麗(幻)に居た烏だと気付く。そして少し離れた場所では神慮伸刀が転がっていた。


「水鏡凍季也…だな」

「…お前は…」


こつこつと足音を立てて近付いてくる足音は、少しの距離を置いて止まる。己の名を言ったその声に聞き覚えのある水鏡、視線をとフォックスから上げて影の顔を目に映せば、にたりと笑みを浮かべている青年が立っていた。水鏡は青年の名を呟く。


「黒塚…」

「光栄だよ、名前を覚えてもらえていたなんて」


麗(紅)のメンバーであり、裏武闘殺陣の最終決戦でと戦った相手が黒塚だ。明るい茶髪をセンター分けにした色白の青年。黒塚は喉を鳴らして暫く間笑い続けると、笑いが収まった所で口角をこれでもかという程に吊り上げて笑みを浮かべた。


「来るのが遅かったな、水鏡凍季也。もう後はこいつが絶命するのを待つだけさ」

……どういうことだ」

「水鏡凍季也…お前はこれを覚えてるか?もっとも、こいつはこの魔導具を知らなかったみたいだが…まぁ、意識がなかったんだから当然の話だな」

「……毒魔針か」


黒塚の指先に嵌められている爪型の魔導具、毒魔針を見て水鏡は目を細める。最終決戦で風子と戦った命が見せた魔導具の一つ。実際はの看病についていたので直接目にするのは今が初めてだが、あの五月蠅いくらいの声援が医務室まで届いていたので何となくそれが毒魔針だと水鏡には判別できたのだ。


「命が裏武闘殺陣で使っていた魔導具…毒魔針。傷付けた相手を毒に侵すわけだが、知っての通りこの毒は解毒丸でしか消せない。けど俺は解毒丸は持ってないぜ、これは嘘じゃない、本当の話」

「………。」

「疑うなよ、本当だって言ってるだろ?俺には必要なんてないのさ、解毒丸なんてな」


鋭い警戒した、探るような瞳で水鏡は黒塚を見る。そんな水鏡の様子に黒塚は困ったように眉をハチの字に下げるが、そんな表情も一瞬だけで黒塚はすぐに笑みを浮かべる。両手を横一直線に広げて、黒塚は高らかに言ってのける。


「俺は生まれ変わったのさ!」


黒塚は己が身に纏う衣服に手をかける。長袖のTシャツを捲り上げると、そこに見えたのは腹ではなく、禍々しいもの。それは森光蘭のような化物のようなもので、ふと水鏡の脳裏に森光蘭の手によって黒塚同様、生まれ変わったと言った八神の姿が蘇る。黒塚が服の袖を捲り上げる。やはり見えたものは白い肌なんてものではなく気持ちの悪い化物のものだった。


「森光蘭に…与えてもらった」


黒塚は不気味な笑みを浮かべる。の傷口を舐めていたフォックスは歯を剥き出しにし黒塚に向かって唸れば毛を逆立て今にも飛び掛りそうな勢いだ。水鏡は驚きの表情も見せず、ただ変わらぬ表情で黒塚を窺っている。


「森光蘭はあの後、身動き一つ出来ない俺に動く体を与えた。同時に唯一毒魔針の毒を消すことが出来る解毒丸を織り交ぜて!」

「だから毒魔針の毒の免疫のあるお前には毒魔針は効かない。…だから解毒丸を持ち歩く必要も無い、か」

「そういうことさ」


黒塚の言うあの後というのは最終決戦、との戦いに敗れた後のことを言っているのだろう。黒塚が空神で受けた傷は重く二度と体を動かせることが出来ない程だった。ただ歩くことも腕を動かすことも出来ない体。絶望に浸り、ただへの憎悪だけが募っていった時、黒塚の目の前に森光蘭が現れた。天堂地獄を手に入れ海魔と一つになった、化物に変貌した森光蘭の姿を見て黒塚は不思議と気味が悪いとは思わなかった。森光蘭は黒塚に尋ねる、動くからだが欲しいかと、火影が憎くないのかと、黒塚は答える。憎い、憎くてたまらない、動く体が欲しい、火影を、を叩きのめす力が欲しい。森光蘭は黒塚の心を聞くとにたりと笑い、黒塚に動く体を与えたのだ。


「毒魔針の毒が全身に回りきるまで、あと1分もないだろうな」

「っ!!」


水鏡は黒塚の嫌な笑みを見、告げられた言葉に歯を食いしばる。そして強くの肩を握る力を強めた。腕の中のは以前変わらずぴくりとも動かない。


「(あの時と同じなのか…)」


脳裏に蘇るのは見す見す柳を葵に連れ去られてしまったあの日。廃墟に乗り込んだあの時、蛭湖に邪魔をされて助ける事が出来なかった。その時と同じ感覚が、水鏡を襲う。


「(僕は……、救えないのか…?)」


水鏡が少しばかり俯く。俯いた為に顔には影がかかり、どんな表情をしているかは誰にも見えない分からない。水鏡の長い髪が肩から滑り落ち、の体にかかった。フォックスは今まで出したことないような、か弱い声で鳴くとより一層強くの体に擦り寄る。水鏡は強く歯を食いしばり、守れなかった悔しさにより一層強く強くの肩を抱く力を強めた。


「あっはははははははははははははは!!これでお終いさ!!勝つのは俺!負けたのは!!敗者には死あるのみ!!!あははははははははははははははは!!!」


黒塚は高らかに声を張り上げて笑った。黒塚の声がやけに耳につく。は目覚める気配を見せない、指先をぴくりとも動かそうとしない。黒塚の笑い声が続き、部屋の中を笑い声が壁や天井、床に反響する。水鏡とフォックスが、諦めそうになった瞬間だった。


「ウォォオオォオオオォオオオォォォオオオオオオオオオオンンン!!!」


勇ましい雄叫びが黒塚の笑い声を掻き消すように響き渡る。刹那、黒塚は笑うのを止め浮かべていた笑みを消す。水鏡も突然聞こえてきた唸るような、耳を塞ぎたくなるような獣の咆哮に勢い良く顔を上げた。黒く大きな何かが、影が部屋の中を壁を走り回っている。黒塚は腰を低くし、驚きと少しの恐怖で満ちた目で必死に黒い影を追っていた。絶対的勝利を確信した刹那、聞こえてきた獣の声。


「ウゥォォオオォオオオォオオオォォォオオオオオオォォオオオオオオンンン!!!」


また獣の咆哮が聞こえる。黒塚は言葉になっていない悲鳴を上げながら黒い影に向かってぶんぶんをナイフを振り回しているが黒い影の方が動きが早く、ナイフは掠りもしていない。黒塚の顔には冷や汗が浮かんでおり、先程までの余裕は見られない。得体の知れない何かの突然の登場、得たいの知れない何かの咆哮、黒塚を恐怖させるには充分だったのだ。


「ギャゥーーゥウン」

「フォックス?」


水鏡は視線を斜め下、に擦り寄っていたフォックスへと向けた。先程まで悲しげだったフォックスが、まるで獣の咆哮に共鳴するかのように天に向かって吼えている。怯えているような様子はないフォックス。普通、動物は、それも野生の生き物なら得体の知れないこのような恐ろしい咆哮を聞けば怖がるが警戒するものではないのだろうか。水鏡の中に疑問が生まれる。


「うあぁあああぁああああ!!な、何なんだぁあああああ!!!」


我武者羅にナイフを振り回す黒塚。もはやナイフの切っ先は黒い何を狙ってすらおらず、ただ自分の身を守るように自分の周りに振り回しているだけ。無駄でしかない動きだ。水鏡はの肩を抱く手とは逆の手に閻水を持ち、構える。黒塚に攻撃を仕掛けようと考えたのだ。


「(解毒丸を持っていなくとも…奴の体に解毒丸の成分が含まれているのなら何とかなるかもしれない)」


弱気になっていた水鏡の思考が、獣の咆哮を聞いてから前向きになった。それはまるで獣の咆哮によって目が覚めたような。水鏡の瞳にはもう迷いはなく、先程まで浮かべていた前だけを見据えた真っ直ぐな視線がある。閻水の切っ先を真っ直ぐ挙動不審になっている黒塚へと向ける。そして氷紋剣を発動しようとした瞬間、水鏡の周囲の空気が変わった。


《駄目だ駄目だ駄目だ、駄目だぜェ、色男ォ…手を出しちゃあなァ…》

「!お前は…」


水鏡の目の前に現れたのは今まで部屋の中を走り回っていた影だった。よく見ればそれは影なんかではない。黒い毛の生えた大きな獣、鋭い爪の生えた太い足に、だらりと開けられた口からはねっとりとした唾液が零れ落ち鋭い牙が見える。紅い目をした獣は水鏡に笑ってそう声を掛けた。獣の表情なんて分からない、獣が笑っているように見えたのは声が笑っているような気がしたからだ。水鏡は呆然と獣を見上げて声を漏らす。一度も見たことのない宙に浮いた獣は、一聞いたことのない声で喋る。だが水鏡は本能でその獣を知っていると判断した。そして無意識に脳裏に浮かんだ名前を言葉に乗せて発する。


「………空神……か…?」

《ご名答ォオオ!!さァ、これからが正念場だぜェ…黒塚ちゃん、よォ?》


黒塚にねっとりと纏わりつくような声で言った空神は、長い舌で己の口周りを舐める。べとりと床に空神の唾液が零れ、空神の赤い目は黒塚の姿を映していた。黒塚は先程までの姿はなく、落ち着きを取り戻していた。それは目に見えていなかった黒い何かが、こうして姿を現したことと、それが空神であることを知っての安心感。得体が知れないもの程怖いものはない、何かが分かっていればその恐怖は和らぐもの。黒塚は乱れた呼吸を整えてナイフを構えた。空神は黒塚だけを真っ直ぐ捕らえている。それはまるで獲物を狙う獣の目、殺気立ち血走った目でもあった。





















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