「フン…主人を失った怒りで暴走でもしたか?」

《お前アホだなァ、怒りで暴走した程度で本来の姿を現し出てこれるとでも思ってんのか、あァ?》

「………。」

《頭の悪いお前に教えてやるぜェ、俺がこうして本来の姿を現すことは簡単だと言っちゃ簡単だが、難しいと言えば難しいことだァ》

「…矛盾してるぞ」

《つまり、だ》


黒い体に紅い目をした獣、空神は水鏡に背を向けた形で黒塚と対峙している。何とも言えない空気が流れる中、先に切り出したのは黒塚の方だった。空神から感じられる威圧感に冷や汗を流しながらも怯むことなく空神を見て言葉を吐く。だか、それでも隠した恐怖心は何処かしら見えてしまうものだ。空神は己がこうして目に見える形で具現化出来た理由を遠まわしに黒塚に説明しながら嘲て笑う。黒塚は空神の言いたい事がまるで理解出来ないのか眉を潜めるだけだった。空神はこれでもかという程に大きく口を裂けさせて笑った。


《俺がこうして出てくるか出てこないかは、ご主人様の気分次第っつーことだァ》

!!うぁ…っ、」

《お前は舐め過ぎなんだよ、うちのご主人様をなァ》


空神は心底楽しそうに笑う。黒塚が気付いた時は既に遅く、神慮伸刀を両手に持って構えたが黒塚の懐に侵入し神慮伸刀の刃を強く強く黒塚の腹部に突き刺した瞬間だった。黒塚は腹部と口から血を吐き出し、後方に体が傾く。は神慮伸刀を黒塚の腹部から引き抜くと黒塚の体を両足で踏み台のように蹴り、後方へと飛んで下がった。神慮伸刀を左手に持ち替え縦に一振りしたなら刃に付着した黒塚の血液を床に飛ばす。空神は宙を音も立てずに歩いての隣へと移動すれば、の頭を柔らかい肉球でぐいぐいと押した。


《お前も寝過ぎだ。しっかりしてくれよな、ご・主・人・様ァ》

「うっわ、ムカつく。死ね空神

《おー怖い怖ィ》


空神が本来の姿で具現化出来るかはの気分次第、意思次第ということ。つまり、は空神が姿を現した時点では既に意識を取り戻していたということになる。黒塚は腹部から流れる血を見て顔を顰めると、傷口を手で押さえてゆっくりと立ち上がる。そして忌々しそうに歯をぎりぎりと音を立てて噛めば声を張り上げに向い、怒鳴った。


「どういうことだ!!いつから目が覚めていた!?毒魔針の毒はどうなった!!」

「ふん!企業秘密だよ、ばぁーか」


人差し指で目の下を差し、舌を口から出してあっかんべーを黒塚に向けてする。黒塚の体は怒りに震え耳や頬が赤く紅潮し始める。そして黒塚は怒り任せに隠し持っていた幾つものナイフをへと投げつけるとはそれを神慮伸刀で弾き返しながら更に後方へと飛んだ。の目の前に空神が立ち、空神が黒塚を威嚇する。




あ、その…」


後ろから声を掛けられ、の肩がびくりと反応する。言うまでもないだろうが声の主は水鏡だ。の鼓動が早くなる。意識が戻った時には何故か水鏡が居て、腕の中に居て、そして耳を澄ましてみると黒塚が言うには何やら自分は毒魔針という魔導具による毒に犯されているらしく、そして死ぬまであと少しという所だったらしい。それでフォックスは悲しそうに鳴いているし、水鏡も悲しんでくれていたのか、目を瞑っていたので分からないが俯いたからか自分の体に水鏡の柔らかい髪が落ちてくるし、水鏡がの肩を抱く手の力が強くなるしで、は目を覚ますタイミングを完全に逃していたのだ。そして、こうして行動を起こすまで水鏡の腕の中の温もりを堪能していたは何だかどうしようもない罪悪感に襲われる。恐る恐る後方を振り返れば尻尾を千切れんばかりに振り回すフォックスの満面の笑みと、驚きと安心が入り混じったような表情をする水鏡の姿があった。


「君が無事でよかった」

「え、あ、心配かけました…!」

「にしても何故毒魔針の毒が効いていないんだ…?」


水鏡が観察するようにの頭の先から足の先までじっと見る。はその視線に照れとくすぐったさを感じながら、気を紛らわす為に頬を人差し指で軽く掻く。心配をさせてしまったのだ、毒が効いていない理由を説明する必要がある。は水鏡に毒の事について話す為にゆっくりと口を開いた。


「空神を、使ったんです」

「空神を?」

「はい。空神を装着してると、何かいつも以上に空気とかの掠れとか、震えとかに敏感になるんです。それで何か、黒塚のしてる爪が空気を切る震えが変な感じがして…それで何となくですけど毒が塗ってあるんだろうなぁって思ったんですよ。何で一応、空気を圧縮させたて薄く延ばしたものを黒塚の指にしてある爪全部に覆わせてたんです。だから爪の攻撃は受けても空気の壁があったんで毒には触れてないんです」


キリトの時にディスクにした行為、マリーの時にカップにした行為、そして今回の爪にした行為、三つとも全く同じことである。の説明に納得した水鏡は感心したように小さく笑みを浮かべており、逆を言えば黒塚は毒が塗ってあることをバレていたということと、自分には話さなかったのに対し水鏡にはさらりと答えたに腸が煮えくり返りそうな程の怒りを感じた。そして黒塚は自虐的に笑うと指に嵌めていた毒魔針を床に叩きつけるように外し、そしてズボンのポケットから籠手型の魔導具を取り出す。するとはすぐに表情を変え、神慮伸刀をケースの中に戻すと立ち上がり、水鏡の前に立つ。


「もう終わりにするぜ、もう我慢ならない。この一撃で終わらせる」

「…そんな簡単に終わってやるような素直な女の子じゃないから」

「ハッ!言うだけ言っていればいいさ。手加減した攻撃ですら受け止めることも弾き返すことも出来なかった癖に」

「………。」


黒塚は己の腕に魔導具を装着するとと空神、そしてその後ろに居る水鏡とフォックスに向かって手を翳す。黒塚の手の甲辺りにある魔導具の宝玉が怪しげに光を放った。空神は視線は真っ直ぐ黒塚の魔導具を見たまま、の顔の高さまで頭を下げる。


《どうすんだァ?さっきと同じ方法じゃまた同じ結果だぜェ。……まァ、次は意識なんざ戻るこたぁねぇだろうけどよォ》

「……分かってるよ」


この階に着き、この部屋に入ってまず烏に襲われた。だが難なく一撃で伸すと今度は黒塚が現れた。神慮伸刀を引き抜き、一気に韋駄天で詰め寄って斬りつけようとすると黒塚が装着したあの魔導具によって一気に吹き飛ばされ、これだけの傷を負わされた。黒塚が言うように手加減されていたようなので傷は多いが浅いものが多い。それでも意識を飛ばされそうになるほどの強い力で、薄れゆく意識の中で近付いてきた毒魔針を咄嗟に空気で覆えば、毒魔針で腕を切りつけられたのを最後に意識が飛んだ。勝機はある、と宣言は出来ない。勝てる見込みがある、ともはっきりとは言えない。それがの本音だった。


「この魔導具を見せるのは初めてだったな…名前は撃壊神。万物全てを破壊することの出来る魔導具、この魔導具に破壊出来ないものはない!!」


高らかに笑って黒塚は達に翳し突き出した掌に意識を集中させる。撃と刻まれた宝玉が禍々しくも眩い光を強く放ちながら煌めき、掌にぽつぽつと光が集中し始める。ほんの一瞬だったがは確かに思えていた。あの一瞬、撃壊神の攻撃を受けた時のことを。黒塚の掌から細いレーザーのようなビームのような、そんな鋭い光を放つものが勢い良く幾つも放出され、己の身に傷を作り強烈な痛みを体に叩き込んできた。は黒塚と対峙しながら、振り返らずに後ろにいる水鏡へと声をかける。


「水鏡先輩」

「…何だ」

「フォックスを連れてエレベーターに乗って、柳ちゃんの所に行って下さい」


水鏡はから告げられた言葉に少しばかり目を見開いて顔を上げる。はこちらに振り向くことはなく、真っ直ぐと黒塚の方を見ていた。水鏡はフォックスが己の足に身を寄せているのを感じながら強く閻水を握る手の力を強める。


「さっきも負けたんです。黒塚は手加減してくれた一撃だったらしいんですけど撃壊神の攻撃は本当に凄かった」


思い出すだけ体中の傷が疼き震えそうになる。黒塚の掌に小さくも強い光を放つ球が幾つも集中すれば、それは一つの球へと合体して更に大きさを増していく。先程のように幾つものビームを放出するつもりではないらしい、まさに一撃必殺と言ったところか、黒塚は烈火の虚空のようなものを放つつもりなのだろう、はそう悟った。


「撃壊神を壊すには空神で全力を出さないと多分無理です。だから行って下さい。多分、ここは撃壊神と空神の攻撃で吹き飛んじゃうと思うんで」


水鏡先輩とフォックスに怪我させたくないから、とは困った表情をして顔だけ一度、水鏡の方を振り返って笑った。すぐに前へと向き直ればは左手で右肘辺りを掴み、右手を真っ直ぐ黒塚に向けて突き出し、掌を翳した。


「だから、行って下さい。柳ちゃんを助けに行って下さい。それから、フォックスのことも宜しくお願いします」


生きることを放棄するつもりはなかった。生きて帰るつもりでいた。柳を取り戻して、元の普通の学生に戻って、普通の生活に戻って、まず家に帰ったら両親の説教を聞き、そのあと熱い抱擁を交わす。そしてまた水鏡に自分の気持ちを伝えるつもりだった。けれど今回ばかりは本当に危険だと思うから、だからは水鏡にフォックスを託し、先へ進むことを頼んだのだ。この黒塚との戦いに巻き込まれないようにするために。悪くて負けて自分が死ぬ。運が良くて相打ち。本当に運が良かったら勝てる。勝算の低い賭けに水鏡やフォックスを巻き込むわけにはいかなかった。


、そして水鏡凍季也……この撃壊神の餌食となって死ねぇええ!!!」

「行って下さい!!!」


黒塚の掌に集中していた大きな掌以上の大きさのある球体が、黒塚が叫んだと同時にに向かって一直線に放出された。それはまさに烈火の虚空の炎のような、そんな強烈な迫力を持ったもの。は黒塚が溜め込んでいた力を放出すると同時に己の全力を黒塚に向かって放出する。の掌から放たれるのは空気を極限まで圧縮した空気の塊、例を挙げるならば風子の風魂のようなものだ。黒塚の放ったレーザーとの放った玉が激突し激しい爆風が周囲の壁や床、パイプに抉るような傷を付け、鼓膜が破れてしまいそうなほど五月蠅い爆音が轟く。びりびりとした痛みを右手に感じながら、は歯を食いしばって右手に力を込める。


「早く行って下さい!!水鏡先輩!!!」


は後ろに居る水鏡に向かって腹の底からの声を張り上げた。ここで二人も死ぬわけには行かないのだ。本来なら此処に水鏡は居ないはずで、水鏡程の力を持つ男が死ねばその分火影の戦力は落ちる。少人数ながらも強い火影、それは一人一人が強いからであり、つまり一人でも欠けると戦力は極端に落ちてしまう。柳を救う確立を下げない為にも水鏡には無事に柳の所まで行ってもらわなければ行けない。


「早く!!行って下さい!!!」


本当は行って欲しくなかった。死ぬのは怖い、一人でこんな強い相手と戦うのは怖くて仕方がない。これでもしも死んだら水鏡とこうして話すのも一緒にいることさえも全てこれが最後になってしまう。だから行って欲しくなかった、終わりになんてしたくない、一緒に居て欲しかった。でもそれがエゴであることは分かっていたから、こうしては先に進むよう水鏡に強く言う。


「あたしなんか見捨てて!!行って下さい!!!」


心からの叫び、涙が出そうになるぐらいに辛かった。見捨てて欲しくなんてない、けれど水鏡には生きていて欲しい、だから行って欲しいけれど行って欲しくない。の中では矛盾した気持ちがぐるぐると渦を巻いていた。視界が少しばかり潤み、涙が溢れ出そうになった頃、右腕に感じていたびりびりとした痛みがより強くなり黒塚のレーザーが押してきて、の空気の塊が押され始める。


《糞っ、がァアアア!!》


空神の悶えるような絶叫に近い声が聞こえる。今目の前にある撃壊神のレーザーに直接ぶつかって戦っているのは空神だ。の表情が歪みに歪み、鎌鼬にやられたかのような切り傷が痛みを感じていただけの右腕に無数に出来る。一瞬にして切り傷だらけになった右腕からは所々出血しており、空神の宝玉にも音を立てて小さな亀裂が入った。はそっと目を細める。もう駄目だと、諦めた。


「(フォックス……水鏡先輩―――…)」


柳を助ける所か、自分の身すら、水鏡とフォックスすら守れない自分に自虐的な笑みを浮かべそうになる。翳していた手に込めていた力が徐々に抜けていき、真っ直ぐ黒塚に向かって伸びていた肘も曲がってくる。自然と右手が下ろす形になろうとした時、凛とした声がの鼓膜を刺激した。


「見捨てるはずがない」


その声は耳障りなほど五月蠅い爆風よりもの耳によく届く。まるで周囲に何も音がなく、その声だけが此処にあるような感覚に陥る。その心地よい声は直ぐ隣から聞こえて来る。がゆっくりと隣を見れば、自分を優しい瞳で見ている水鏡の姿があった。今まで見たことがない程に、優しい瞳で。


「僕はを見捨てるために此処に戻って来たんじゃない」


水鏡は優しく微笑めば黒塚の方へと視線を向けると表情を引き締め、強い意思の篭った瞳を向ける。手に持つ閻水の切っ先を黒塚に向けたなら、水鏡は閻水を床に深く突き刺す。


「助けるために戻って来た」


刹那、黒塚の足元から複数の鋭い氷の刃が飛び出し黒塚を襲う。腕や足、腹部、至る所に氷の刃が突き刺さり黒塚は大量の血を口から吐き出した。黒塚が負傷し集中が切れたことにより放たれていたレーザーが一瞬にして消え失せる。同時にが黒塚に放っていた空気の塊も弾け飛ぶように消えてなくなった。同時に衝突しあっていた高エネルギーが消えたことからぶわりと生暖かい風が吹きぬけや水鏡の髪を揺らす。黒塚は覚束無い足で何とか立ち上がると、大きくだらしなく口を開けてたちに向かって駆け出し撃壊神を突き出して翳した。


「うあぁあああああぁああああ!!!」

「真っ直ぐ見ろ、。まだ終わってない」

「………あ…」


水鏡はの肩を掴み己の方へと引き寄せれば、の体を左手で支え、右手はの右手首を掴み真っ直ぐ向かってくる黒塚へと向ける。昆虫めいた禍々しい外見をしている空神を、水鏡は何の躊躇いもなく触れての右手首を握っている。誰もが気持ち悪いと思う空神のこの外見を、こうして簡単に触れられることが、は全てを受け入れられているような気がして嬉しかった。空神のことは嫌いじゃない、屈服させるのは確かに大変だったが幾らでも応用の利く魔導具で扱い易い。けれど見た目がこうであるから、周囲には異様な目で見られることも多く、空神の姿を晒したまま街を歩くことすら出来ないでいた。何度、風子の風神のような普通の魔導具だったらいいかと思ったか。何度普通の見た目をした魔導具だったら良かったと思ったか。余裕なんてない、格好悪くても勝つ為に無様な戦い方をする自分を描写した、形に表したような空神という魔導具の見た目にどれだけ嫌気が差したか。水鏡の行為は空神越しにの手首を掴むというそれだけのことだったが、にとっては無様な自分も格好悪い自分も全部全部全部受け入れてくれたような気がして、嬉しくてたまらなかった。


「僕はが好きだ」

「……へ?」

「今頃気付いた」


黒塚が最後の力を振り絞り、撃壊神の宝玉が今までで一番強く光り、掌からレーザーが再び放たれる。の掌は水鏡にされるがままで、真っ直ぐそのレーザーに向けられていた。


「だから君を見捨てる気はない」

「………。」

「戦いが終わったら僕に言いたいことがあるんだろ」


が水鏡を見上げれば、水鏡は優しく微笑みを見ていた。の瞳に再び闘志が湧き起こり、右手に力が込められる。既に水鏡の力だけではなく、は己の力と意思で掌を黒塚へと向けていた。


「必ず聞く。だからまずは目の前の敵を倒すことだけに集中するんだ」

「っ!!」

「うぉおおおおぉおおおおおおお!!!!」


レーザーはすぐ目の前まで迫ってきている。黒塚の力強い声が聞こえた。は掌に全神経を集中させると力が出る限り、全てを一撃に込めて放つ。先程とは比べものにな
らない程の大きな空気を圧縮、凝縮した塊が凄まじい風を斬る音と爆風を放って黒塚へと向かっていく。


「行っけぇえええーーーーー!!!」


は心の底からそう叫んだ。勢い良く黒塚へと向かって行った空気の塊は、黒塚の最後の一撃であるレーザーを蹴散らし威力を弱めることもスピードを緩めることもなく黒塚へと向かっていく。黒塚が向かってくる空気の塊に恐怖の表情を浮かべるよりも早く、空気の塊は黒塚の体を飲み込み爆発する。更に強い爆風に耐え切れなくなったのかパイプ等が外れては爆風に乗って吹き飛んでいく。咄嗟に水鏡はとフォックスを腕の中に抱きこむと身を伏せてあらゆるものからとフォックスを守る。暫くすればそれらは治まり、残ったのは宝玉が粉々に砕かれた撃壊神を装着した意識のない全身傷だらけの黒塚と、原型を留めていない荒れるに荒れた部屋、そして傷は負っているものの生きていると水鏡と、ただと水鏡の間で尻尾を振り回すフォックスだった。





















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