「で、次の山は決めたのか?」

「ああ。それなら―――」


聞こえてくる会話をぼんやりと聞き流し、テレビのチャンネルをコロコロと変えた。一つ山を追え、やる事がすっかりなくなってしまった今、この現状を言葉で表現するならそう、“暇”だ。無意味に変わらぬ窓の外を眺めるのには飽きてしまったし、寝るのも寝尽くしたような感じで眠気すらもう無い。仕方ないのでこうして面白そうな番組を探してチャンネルを変えているのだが、大して気になる面白い番組がない。なんてこった。


「さすが平日の昼間って感じするわー…」


三人掛けのソファーを一人で独占し、横になって肩肘を付いて頭を支え、もう片方の手でリモコンを操作する。いい番組がない。そうだ、DVDプレイヤーでも買ってきて設置すればDVDが見れるじゃないか。いい暇潰しを思いついた。早速買いに行って、帰りにDVDをレンタルして来よう。


『―――、――――――、―――――――。』


そんな事を考えていた時、たまたまニュース番組に切り替わり、下部に表示された文字と若いアナウンサーが読み上げる内容にリモコンを操作する指先が止まる。しかし少し遅かったらしく、アナウンサーは次のニュースの内容を読み上げ始め、下部に表示されていた内容も違うものに切り替わった。


「なっつかしー」


そんな独り言をぽつりと呟き、そういえば先程朝刊を見た気がして周囲を見渡す。少し離れたダイニングテーブルに無造作に畳まれ置かれていた朝刊が目に入れば、横になっていたソファーから下りて朝刊を手に取る。広げて一面を見てみると、その一面は先程ニュースで取り上げていた内容だった。


「珍しいじゃねぇか。が新聞を読むなんてな」

「たまにゃぁ、あたしだって読む事くらいあるってー」

「本当にたまにだけどな」

「そこ、五月蝿い」


洋館仕立てのホテルの一室、テーブルに備え付けられたアンティーク調の椅子に腰掛け、行儀悪く足を組んだなら、横文字の羅列が並んだ紙に目を落とすと、左右からニヤニヤと笑みを浮かべて声を掛けてくる男達。こうして弄られるのは何時もの事なので視線を上げ、返事こそは返したものの再び直ぐに視線を下へと落とした。


「えらく熱心に読むじゃねぇか。何の記事だ?」

「キッドだよ」

「何だそりゃ」


片眉を釣り上げて聞き覚えの無い単語に首傾げる赤いジャケットを着た猿顔の男は、向かい合う様に設置されている空いた椅子へと腰掛けた。窓際に佇んでいた目深く帽子を被った男は新聞の一面が見える様に、の背後へと回り込み新聞を覗き込む。


「嗚呼、こいつか」

「何だよ、知ってんのか?」

「有名だし。日本じゃね」


テーブルの上に新聞を置けば、猿顔の男は覗き込むように前のめりになって新聞を見る。一面を飾るのは月夜をバックに白いスーツを身に纏った年齢不詳の男のピンショットで、其の風貌に覚えのある帽子の男が声を漏らすと、猿顔の男は唇を尖らせた。勿論、其処に可愛さは無い。は付け加える様に、此の白スーツを纏う男が日本ではそこそこ名の知れた存在である事を明かけば、日本人でも無く、日本育ちでも無い彼にも分かる様に更に説明を重ねるのだ。


「本来の名称は怪盗1412号。1412号なら聞き覚えあるんじゃない?」

「あー…。こいつがか?」

「そうそう。最近まで静かだったんだけど復活したらしーね」

「にしても何でキッドってんだ?」

「日本の若手の小説家が新聞記者が殴り書きした1412を、洒落てKIDと読んだのがキッカケだったはずだぜ」

「ほー、なるほどねぇ」


に続き、帽子の男も加わって語られるキッドと呼ばれる日本の怪盗。顎に手を当てながら、うんうんと頷きながら聞く猿顔の男に、はニヤリと意地悪な笑みを浮かべると、此れから話す内容で彼が見せる反応を想像しながら、ひらりと片手を揺らして言い放つのだ。


「変幻自在、神出鬼没のキザな怪盗。月下の奇術師とか、平成のアルセーヌ・ルパンなんて呼ばれてるらしーよ?」

「ななななななんだってーーー!!!」


猿顔の男は見る見る内に肩を震わせ、立ち上がると同時にまるでちゃぶ台返しの様に新聞が置かれたテーブルごと引っくり返した。がしゃん、なんて大きな音が立ち、ひらりと舞う新聞を視界に入れながら、思った通りのオーバーリアクションを取った猿顔の男に思わず笑いが零れる。猿顔の男はびしっと人差し指を突き差してきた。


「よおおおし!それならこの喧嘩受けて立ってやろうじゃないの!!、今すぐ日本に行って其の怪盗の調査だ!ち・ょ・う・さーーー!!」

「誰も喧嘩売ってなんかねぇだろ」

「へーへー、五月蝿いなぁ」


喚き騒ぐ猿顔の男に、呆れ顔を浮かべた帽子の男はより一層深く帽子を被り直した。よっこらしょ、なんて呟きながら椅子から立ち上がれば軽く伸びをし、備え付けの棚の上に置いていた真っ赤なエナメルのハンドバッグを手に取る。


「行くのか」

「まあね。元々興味あったし」


子供の様に床に転がって手足をバタバタと振り回し暴れる猿顔の男は双方無視だ。帽子の男は扉のドアノブに手を掛けるにそう静かな声で問いかける。言われなくとも記事を見た時に一度生のキッドを拝む為、日本に帰ろうと思っていたのだ。


「いいのか?」

「どういう意味さ」


感情の読み取りづらい低い声は相変わらず聞き心地が良い。鼓膜を優しく震わす声に、はゆったりと笑みを浮かべた。彼が心配してくれているのは分かっていた。


「お前、日本嫌いだろ」


はっきりとそう言われてしまい、はクスクスと喉を鳴らして笑う。そういうわけでもないのだが、周囲にはそう見えていたらしく変な誤解を与えてしまっていたようだ。ドアノブを捻り、ドアを押し出せば廊下は灯りが点いておらず薄暗い。最後に一度、室内に振り返れば仏頂面で突っ立った帽子の男の後方で猿顔の男はまだ子供の様に床で暴れていた。


「そういうわけじゃないよ」


首を小さく横に振り、否定をすればドアを更に押し出して廊下へと出る。漸く落ち着いたのか、床の上でのた打ち回っていた猿顔の男も寝転んだままではあるが大人しくしてを見ていた。は口角を吊り上げて笑みを浮かべる。


「じゃ。暫くこっち帰って来ないかも。急ぎがあったら電話して」


最後にそう言い残してドアを静かに閉めた。カツ、カツ。ブーツのヒールを鳴らして狭く長い廊下を一人で歩く。ハンドバックの中には財布と携帯の必要最低限のものだけが入っている。ロビーを抜け、ホテルを出れば太陽が真上で燦々と輝いており、目の前を忙しく行き来する自動車。暫く車道よりの歩道で突っ立っていると静かに目の前に一台の車が停車した。


Where do you go? 何処まで?

Los Angeles International Airport. ロサンゼルス国際空港へ


後部座席に乗り込み、バックミラー越しに運転手の男を見て目的地を告げれば、ゆっくりと動き出す車。移ろう景色を窓からぼんやり眺めながら、ふと目に付いた建造物に声を漏らす。


Ah...But slight change of mind so empty, do you get by the coffee shop before? あー…。でも小腹が空いたし、先に喫茶店に寄ってくれる?









不器用少のセレナーデ









すっかり外は暗闇で、機内も静かで照明も落とされている。窓側の席に座るは、ぼんやりと窓から夜空を眺めた。先程までは様々な色の灯りが真下で輝いていたが、すでに陸を離れ海の上を飛ぶ機体は上も下も黒の世界しか見せてくれない。


「(―――久しぶりだなぁ)」


お気に入りのアンティーク調の腕時計で時刻を確認する。もうじき深夜の2時を迎えようとしていた。


「(ってことは日本は今は、夜の7時か…)」


背凭れにぐったりと凭れ掛かり、瞼を下ろす。耳に差したイヤホンからは優しいピアノの曲が流れてくる。その音色は春を思わせるような明るいものだった。意識は次第に下へ下へと落ちていき、虚ろになってくる。嗚呼、寝る。最後にそんな事を思っては眠った。









NEXT
inserted by FC2 system