その日はとても綺麗な満月の夜だった。雲の無い夜空で光を放つ真ん丸な其れ。静寂の中、鈍色に光る其れは淡い光を街へと降り注ぐのだが、しかし地上は穏やかではなかった。鳴り響く警報。彼方此方へと向けられ照らされるライト。慌ただしい人々の足取り、誰かが叫ぶ。騒ぎの中心は都内でも有名な高層ビルだ。高層ビルを取り囲むように停車するパトカーに、警備に目を光らせる警官達。そんな警官やパトカーを目の前に、高層ビルへと上がる声援は、騒ぎを聞きつけやってきた市民達からのものである。今日、20時、此の高層ビルの最上階に展示されているダイヤを盗みに入ると予告状が届いたのが全ての始まりだった。 「絶対に逃がさんぞ!!」 スーツに身を包んだ口髭を生やした男、警視庁刑事部捜査二課知能犯捜査係に属する中森銀三は博物館の中を複数の警官を引き連れて全速力で駆け抜けていた。其の前方に居るのは、純白のマントを翻し、颯爽と駆ける1人の犯罪者。近頃、世間を賑わせている人物である。 「中森警部、そろそろ鬼ごっこも終わりにしましょう」 「何!?」 キザな怪盗はシルクハットの下で口角を吊り上げ微笑む。其れに青筋を浮かべて鼻息荒くするのは彼を捕まえる事に全力を尽くしている中森警部だ。怪盗は懐からトランプ銃を取り出すと、走り抜けながら銃を構え、発砲。トランプの飛ぶ先には脚立でも無ければ届かない様な高い位置にある窓硝子だ。 「!」 「いつもその手に引っ掛かると思うなよ!キッド!!!」 中森警部が高らかに笑う。というのも、怪盗は放たれたトランプは窓硝子を割り、其処から飛び立つという逃走プランを立てていたのだが、トランプは窓硝子に到達する前に鉄製のシャッターが下りてきた事により弾かれてしまったのだ。塞がれた逃走経路。思わず止まる足。立ち止まった、怪盗キッドと呼ばれる男は静かにトランプ銃を下ろした。 「どうだ!!観念したか、怪盗キッド!!今日という今日こそはお前を捕まえてやるからなぁ!!」 「そう簡単には捕まりませんよ」 じりじりと、間を詰める中森に、シルクハットを目深く被り直してキッドは実に穏やかな声色で微笑む。しかし内心はとても穏やかでは無かった。 「(やっべぇー…他の逃走経路は…)」 怪盗キッド、そう呼ばれている彼ではあるが、実の所、彼は二代目であり、其の名を世に知らしめたのは先代の怪盗キッドであり、彼の実父である。二代目として活躍しだしてから未だ日の浅い彼は、初代怪盗キッドの助手を務めていた男の手を借りながら、何とか怪盗キッドを演じてきたと言っても過言では無いのだ。脳内で事前に目を通していた高層ビルの構造図が駆け巡る。目当てのダイヤは既に懐のポケットの中にはあるが、持ち出し逃げる手段と通路が浮かばない。 「今だ!取り押さえろ!!」 中森の合図と共に一斉にキッドへと飛び掛かる警官達。勿論其の中に中森の姿もある。其の場凌ぎにしかならないだろうが一先ず煙幕を使おうと袖の中に仕込んでいた球を取り出そうとした瞬間、甲高い金属音が耳を掠めた。 「な、何ィ!!?」 分厚く窓硝子を覆っていた鉄製のシャッターに綺麗な三つの直線が走り、割れ、落ちる。露わになった窓硝子も同じく亀裂が走っており、其れが落ちれば窓硝子の破片はキラキラと輝きながら床に落ちた衝撃で粉々に砕かれた。窓枠だけになった窓から見えるのは夜空と満月。そして、人影。 「誰だお前は!!」 突然の事に身動きを止めた中森と警官達が、戸惑いを隠しきれない表情で乱入者を見上げた。柄の無い灰無地の着物に黒の袴を着こなす和装の人物は、般若の面を着けており、其の顔は見えない。性別すら判断のしようがない人物は、長い黒髪を一つに纏め、其の毛先を靡かせて佇んでいた。明らかに怪しげな人物であるが、何より目を引くのは纏った和装でも般若の面でもない。此の御時世では見られることすら少ない、右手に握られた日本刀だ。 「!」 乱入者を見入る様に見ていたキッドは思わず固唾を飲む。般若の面で顔は見えないが、視線が此方に向いている気がしたのだ。そして言われた気がしたのである。“逃げないのか?”と。 「あ!待てキッド!!」 「待てと言われて待つ私ではありませんよ」 ワイヤーを飛ばし、一瞬にして窓枠へ。逃がさんと中森は素早く部下に指示を飛ばし、駆け出す警官達を尻目に、降り立った窓枠。夜の風が頬を撫で、マントが揺らめいた。そして横目に盗み見るのである。横に並んで真近に見た乱入者にキッドは気付くのだ。 「(女…)」 幼馴染と同じ位の背丈。男というには細い華奢な身体。男性特有の喉仏も無い。鉄のシャッターを、まるで紙を切った時の様に切断してみせたのは、きっと彼女なのだろうが、刀一本で果たして成せる芸当なのか。出来るとしても、其の細腕で一体どうやってやってのけたのか。そもそも何故、逃走の手助けをするのか。謎は深まるばかりで解ける気配は無い。 「そこで待ってろキッド!!直ぐに捕まえてやるからな!!」 「残念ですが中森警部、鬼ごっこの続きは次回に。確かにダイヤは頂きましたよ」 一先ず優先すべきは此の場から離れることだ。懐のダイヤを見せつける様に掲げ、キッドは夜空へと飛び立った。途端、どっと沸き起こる歓声。犯罪者といえどキッドの人気は高いのだ。広げたハンググライダーで飛びながら、キッドは後ろを振り返る。般若の面をした女の姿は既に無かった。 「でね、その時にこう言ったの!」 平日の日暮れ前、幼馴染と並んで下校する帰路。隣の彼女はとても楽しげに昨日放送だったドラマの話をしている。其れを右から左に聞き流しながら、彼、黒羽快斗は思案していた。 「(あの女…何者だ…?)」 頭の中を占めるのは、昨夜出会った般若の女。危機的状況下に突然現れ、逃走の手助けをしたあの女に怪盗キッド、改め黒羽快斗は面識は無い。仲間である寺井に聞いてみたが、寺井もそんな人物は知らぬと言うのだから、ますます分からぬことだらけだ。 「ちょっと!聞いてるの?」 「え、あー、何だっけ?」 「もう!!」 幼馴染の中森青子は頬を膨らませて不貞腐れる。そんな仕草すら可愛いと思うのは幼馴染という贔屓目では無い。快斗は此れ以上、幼馴染の機嫌が悪くなる前にご機嫌を取ろうと制服のポケットの中に手を忍ばせた。其処に入っているのは何の変哲も無いトランプ。けれど彼の手にかかれば何の変哲も無い普通のトランプも、誰もが目を疑う様なマジックの道具へと変化するのだ。指先に触れた52枚の紙束を取り出そうとした矢先、まるで阻む様に目の前に立ち塞がった女に手が止まった。 「こんにちは」 派手な化粧をした明るい茶髪のボブヘアーの女は、にこりと笑って挨拶をした。黒無地のVネックのTシャツ、クリーム色のフレアミニスカートに、紺色のニーハイソックスに編み上げブーツ。派手な印象を与える女ではあるが、何処にでもいると言えば何処にでもいるような女だった。唯、女が肩から提げた竹刀袋が気掛かりではあるが。 「快斗、知り合い?」 「いや…」 「会ったじゃない。昨日の夜に」 見覚えの無い女に首を傾げた青子が、隣に立つ快斗に問い掛けるが、快斗も心当たりが無く言葉を濁す。けれど、次いで女が微笑みを浮かべながら言った言葉に息を飲んだ。 「もう忘れちゃった?」 不敵に口元に弧を描く女と、般若の女が重なる。何故、そう思ったのかは分からない。唯の直感だったが、それでも其の直感は確かだと快斗は感じていた。自然と目を細め、警戒心を高める。女が般若の女ならば、あの肩に提げた竹刀袋の中には、昨夜携えていた日本刀が入っているに違いない。女は日本刀を抜く様子は無く、唯、微笑むだけだ。 「青子、先帰ってろ」 「え?」 「いいから」 「う、うん…」 只ならぬ様子の快斗に戸惑いながら、頷いた青子は快斗と女を交互に見ながらも其の場を離れた。残った快斗と女は向かい合ったまま動かない。快斗はポケットの中で触れていたトランプからトランプ銃を持ち直し、小さく一度息を吐き出すと気を引き締める。其の警戒心を察知して、女は可笑しそうに小さく笑い声をあげたなら、遠去かり小さくなった青子の背中を見ながら口を開くのだ。 「可愛い子だね。彼女?」 「ただの幼馴染だ」 「へぇー…」 快斗の声色は鋭い。青子は関係ないと、手を出すなと牽制をしている様だった。女は快斗の返答に目を細め、再度、視線を快斗へと向ける。瓜二つ、まるで双子かドッペルゲンガーでも見ている様な位に似た顔立ち。顔立ちだけで無く、背丈も、声も似ている、否、全く同じだと言っても過言では無い彼に、深く女は溜息を吐くのだ。 「まっすます似てるわー…」 「は?」 「いっそもう憎たらしい」 容姿だけで無く、可愛らしい幼馴染がいる点。偶然というにはあまりにも類似点がある彼等に、頭すら抱えてしまいそうになる。と言っても、目の前に居る彼では無い“彼”は少し前に小学生の姿へと変わってしまったが。溜息を吐いたきり何も言わなくなった女に痺れを切らした快斗は女の様子に疑問を抱きながら切り出すのだ。 「何で俺だと分かった」 「そんなの調べたら直ぐだよ、黒羽快斗くん」 彼と彼を重ね、思考に落ちていた女の意識が快斗の問い掛けによって浮き上がる。調べたら直ぐとは言っても、調べたのは自分では無く、現在ロサンゼルスに居る友人ではあるが。本名を言い当てられ、ますます快斗の警戒心が深まるのを感じながら、女は可笑しそうに笑った。 「お前は…」 快斗が問う。一方的に知られ、気を悪くするのは当然だろう。そしてフェアでは無い。なので女は応えてやることにした。 「十四代目、石川五ェ門」 と言っても、本名では無いのだが。正確には“いずれ本名となる名前”である。女の口から出た偉人の名に快斗の眉間に皺が寄り、女は想像通りの反応を示した快斗に思わず吹き出す。が、しかし、名は名だ。 「まあ。先代は未だ現役だし、此の名を名乗るのは少し早いけどね」 先代は今頃ロサンゼルスで友人達と次の山の準備に取り掛かっている頃だろうか。未だ此の名は兄のものだが、名乗ってはいけないとも言われてはいない。いずれは兄から妹へ、名が継承される事を心得ているからだ。 「暫く日本に居るつもりだし、君に力を貸すよ」 此れは単なる暇潰しの提案だ。彼に興味を持って来日し、一目見て観光でもしてから帰るつもりだったが、実際に見てみるとなかなか面白い。友人程の盗みの技術は未だ無いが、発展途上の彼だからこれから伸びていくのだろう。今暫く、彼を間近で見ていたいと思ったのだ。 「…何を企んでる?」 「何も。ただ君に興味が湧いたから」 本心からの言葉。其れはちゃんと伝わったらしい。女から一切の敵意が無く、むしろ最初から隙だらけなのが功を成したのか、漸く快斗の肩から力が抜けた。そして、其の口元に浮かぶ不敵な笑み。怪盗キッドの時とは違う、子供らしさが滲む悪餓鬼が浮かべる様な笑みだった。 「奇遇だな。俺もアンタに興味がある」 2人の利が一致した瞬間だった。そして、此処に怪盗キッドと石川五ェ門の手が結ばれる。 「これから宜しくな、石川五ェ門」 「こちらこそ、怪盗キッド」 向かい合い、互いに不敵な笑みを浮かべ、2人は協力関係になる事を承諾し、仲間となる事を約束した。 |