これはいまだ、人と人ならざるものの世界が


分かたれてはいなかった古の物語


聖騎士はかつて他の三つの種族と共に魔神族を闇に葬った


聖戦と呼ばれたその戦いは時を経て人々の記憶から消えてなくなった


だが、今再び聖戦が叫ばれる


七つの大罪を葬り去れと



















「聞いたか?ソルガレス砦の話!」

「ああ…一夜で瓦礫の山になったそうだな…」

「どうやら、その犯人。あの“七つの大罪”の団長らしいぜ」

「い…生きてたのか!?だ…だとしたら、まずくねえか?この中にゃ一味の一人が捕まっているんだぜ?」


ダルマリーの町から南西8マイル離れた此処、バステ監獄では一際頑丈な造りで出来た鉄の扉の前に、二人の兵士が見張りの為に鎧を纏って佇む。真昼間日も関わらず、普段から騒がしい囚人達の声がしないのは、囚人達が入れられている牢が此処からかなり離れた箇所にあるからだ。つまり、此の牢は“特別”だという事である。


「だ…大丈夫なのか?」

「そうビビるな。この監獄は“来るべき戦い”に備え、造られた実験的な砦。“七つの大罪”とはいえ、そう容易に破壊攻略できるものではない。何より此処には王国選りすぐりの四聖騎士様、“不気味な牙”がおられるのだからな…!!」


“特別”な牢に厳重幽閉されているのは、バステ監獄の一二を争う大罪人である。牢の中の大罪人が脱獄せぬ様、見張りを言いつけられた兵士達は、扉の前に立ちはするものの、他愛の無い無駄話をするのが日々の日課だった。大罪人を監視するという重役、大切な役割を正しく認識出来ていないと言っても過言ではない。しかし、一方で其れも仕方ないとも言えるのだ。逃れ様の無い拘束具に、脱獄する意思の片鱗すら見せない大罪人。バステ監獄に常駐する腕の立つ聖騎士。其の全てが、何時の間にか見張りの兵士達に“脱獄なんて有り得ない”と確信させ、安堵させ、緊張を解していったのだ。実際問題、大罪人が此処へやって来てからも、特にこれと言った事件も無く、穏やか日々が過ぎ去っている。


「そこまでの危険を冒してまで救う価値が、もはやこいつにあるとは思えんがな…」

「へへっ。確かに」


二人の間に挟まれている扉は此れでもかという程の厚みがあり、無駄な装飾は一切無く、只一つ、中を確認する事が出来る小さな小さな覗き穴がある程度だった。覗き穴からは、微かに闇の中で静かに呼吸を繰り返す、釘で打ち付けられた一見、老人にも見える青年の姿が目視出来る程度の小さなもので、故に兵士達は青年の足元、扉よりの死角となる箇所に大きな大蛇がゆったりと這いずっている事に気付く事は無かった。


「五年前“不気味な牙”に捕らえられてからずっと、日の光を浴びる事無く、動く事も口を利くことも許されず、食事もロクに与えられる事も無く、只々死ぬまで拷問を受け続けているんだからな」


大蛇は決して綺麗とは言いがたい床を這いずる。闇に紛れるように、静かに、静かに床の上を這った。兵士達は気付かない。たった一人、暗闇の中で痛々しい程に、身体中に野太い鎖で繋がれた釘を差し込まれた青年だけが、其の大蛇の姿を、存在を認識していた。


「正直生きてるのが不思議なくらいだ。 強欲の罪 フォックス・シン と呼ばれた伝説が哀れなものさ」


大蛇は部屋の角まで這いずると、其処に空いた小さな穴へと潜り込む。其の蛇だけが通れる程の小さな小さな穴。大蛇の姿は少しずつ、少しずつ其の向こうへと消えていく。最後に尾が穴の中へと消えれば、牢には再び青年一人だけの空間へと変わった。雑音一つ無い、青年の呼吸の音だけが漏れる。青年は、静かに息を吸う。


「ん…?鼻唄…。どこからだ…?」


兵士達は耳に掠めた音色に周囲を見渡す。しかし廊下には他に兵士の姿は無く、兵士達は首を捻って互いを見合った。兵士達は気付かない。其の鼻唄こそ、自分達が現在見張っている牢の中にいる大罪人が歌っているものだという事を。兵士達は気付かない。死角で這いずり、牢を後にした大蛇の存在を。










ひとりぼっち舞曲









無駄に高い天井は、何処まで伸びていき、其の頂点は遥か遠く首が痛くなる程だった。バステ監獄の南端に位置する円錐型の塔の様な牢。其れは端から見ても他と隔離された特別なものだった。四方八方を頑丈な煉瓦の敷き詰められ、ぽつりと一つ存在する鉄の扉には何十にも鎖を巻かれ、幾多の錠を施されており、牢の中の其の人物を逃そうとしない。決して届きそうに無い天井付近に取り付けられた鉄格子の取り付けられた小窓からは柔らかい風と、優しい日の光が降る。天候が悪い日には、此の小窓からは強い風や、冷たい雨が侵入し、堪ったものじゃないが、こうした天気の良い日には、まるで天から降り注ぐ様にして日の光が差し込むのだ。ほんの一筋、ほんの少しの光ではあるが、其れを目にする事が、此の身に浴びる事が、娯楽が一切無い此の牢生活の中では、唯一にして最大の贅沢でもあった。


「ナーガ」


壁に敷き詰められていた一つの煉瓦が音を立てて陥没する。代わりに其処から顔を覗かせた大蛇を、牢の隅で身を縮めていた大罪人は妙にはっきりとした声色で呼び掛けた。大蛇は蠢き、するすると穴の中から身を乗り出すと、床を這って大罪人の下へと向かう。


「…そう。メリオダスが」


長く細い舌を俊敏に動かす大蛇を、憂いで淀んだ瞳で見つめながら、大罪人は手首に取り付けられた枷を鳴らして手を伸ばす。伸びた指先が大蛇の頭部に触れると、まるで項垂れるように俯く大蛇。シュルシュルと音を立てて動く舌が、大蛇の嬉々とした感情を物語っているかのようだった。


「ナーガ」


呼びかければ大蛇は更に身を寄せる様に大罪人へと近寄る。其の身体に巻き付く様に、肌の上を、衣服の上を、大罪人を拘束する鎖の上を這った。


「私の、ナーガ」


大蛇の顔を頬擦りし、大罪人は瞼を降ろした。ほんの少し、大蛇は強く大罪人の体を締め付けるが、大罪人に恐怖も動揺の色は無い。ほっそりと痩せ細った手足は白く、大蛇の身体を、顔を、大罪人は優しく撫でる。色素の薄いシャンパンの長い髪を耳の高さでツインテールに結った牢に幽閉されている未だ幼い少女は、美しいエメラルドグリーンの瞳を濁らせて何度も何度も大蛇の名を呟いた。










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